イタリアのアマルフィ大聖堂で見た聖アンデレ像イタリア南部カンパーニャ地方にあるアマルフィ大聖堂のクリプトには、聖アンデレのお墓がある。その上に立てられているのが、下の画像にある彼の像だった。
西暦1544年のことなんだけど、イスラムの海賊バルバロッサがアマルフィを襲ったことがある。その際に街を守ったのが聖アンドレだと信じられている。そんなわけで聖アンドレはアマルフィの街の守護聖人とされている。
初代コンスタンティノープル総主教とされる聖アンデレ聖アンデレは西暦38年にビザンティウムに主教座を創設したとされている。そのビザンティウムは後に皇帝コンスタンティヌスによって古代ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(今のトルコのイスタンブール)とされたよね。そんなわけで、正教においては聖アンデレは初代コンスタンティノープル総主教と考えられている。更には彼はコンスタンティノープルの守護聖人ともされているらしい。
とはいえ、西暦1453年にコンスタンティノープルはオスマン・トルコに攻略され、アヤ・ソフィア大聖堂もイスラム教のモスクとされてしまった。但し、20世紀にはムスタファ・ケマル・アタテュルクによってアヤ・ソフィアは博物館とされた。そんなアヤ・ソフィアの壁の漆喰の中から発見されたのが、上の画像にあるキリストのモザイク画なんだけどね。
黒海沿岸にキリスト教を広めた聖アンデレ聖アンデレは更に黒海沿岸の各地を訪れ、キリスト教を広めていった。ロシア、ウクライナ、ルーマニアなどで布教を行ったんだそうな。
グルジアでも、最初にキリスト教の教えを説いたのは聖アンデレだったとされているらしいよ。(上の画像はグルジアの古都ムツケタを見下ろす山の上にある聖十字架修道院。6世紀末に建立されたんだそうな。)
聖アンデレの殉教そんな聖アンデレなんだけど、西暦60年にギリシャのパトラスで殉教したとされている。但し、キリストの処刑と同じく十字架にかけられるのは畏れ多いと聖アンデレは考え、斜め十字にかけられて殉教したらしい。
上の画像は斜め十字の上の聖アンデレの像なんだけど、イタリアの首都ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある。ついでながら、サン・ピエトロ(つまり聖ペテロ)は聖アンデレの兄だったらしい。その聖ペテロは西暦64年に始まった皇帝ネロによるキリスト教徒迫害によって殉教したんだそうな。
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