ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1746年、スチュアート家のボニー・プリンス・チャーリーのジャコバイト軍が、スコットランドのカロデンの戦いでイギリス政府軍に敗北。


ハイランドのジャコバイト軍が敗れたカロデンの戦い
(スコットランド、イギリス)

イギリスの都ロンドンから北へ 1000km近く、スコットランドのハイランドの中心都市インヴァネスに到着。そこから東へ約 10km。そこにスコットランドの歴史を画する場所がある。

スコットランドのジャコバイト軍が敗北した荒野カロデンの古戦場(イギリス)

その場所の様子が上の画像。何も無い荒野。そこが荒野カロデンの古戦場なんだ。西暦1746年、この荒野でスチュアート家を支持するハイランドのジャコバイトとイギリス政府軍との戦いが行われ、ジャコバイト軍が敗れた。

それ以後、スチュアート家の王を戴いてイングランドからは独立したスコットランドを目指そうという動きは影を潜めてしまった。その意味で、このカロデンの荒野は、スコットランドの歴史を画する場所だと書いたわけだ。

敗れたスチュアート家のボニー・プリンス・チャーリー

カロデンの荒野で敗れたジャコバイトを率いていたのは、通称ボニー・プリンス・チャーリー。正しくはチャールズ・エドワード・スチュアート。名誉革命でイギリスの王位を追われたジェームズ2世(スコットランドでは7世)の孫に当たる。もちろん、スチュアート家の再興をかけてスチュアート家の故地であるスコットランドで戦ったわけだ。

ボニー・プリンス・チャーリーの率いるジャコバイト軍は西暦1745年に兵を起こし、一時はスコットランドのほぼ全体を占拠し、政府軍の守るエディンバラ城を陥落させることは出来なかったもののエディンバラの街も占拠していた。しかも、スコットランドから南下し、イングランドまでも攻め込んでいたんだそうな。しかし、次第に劣勢となり、南から追い上げられて、スコットランドの奥地ハイランドのカロデンの荒野で敗れたというわけだ。

しかし、敗れた将に対する追求は厳しい。ましてや、いまだにジャコバイト派のクラン(氏族)の支持を得ているスチュアート家のプリンスだ。イギリス政府は徹底してプリンスを捜索する。追われるボニー・プリンス・チャーリーはハイランドを逃げ回ることとなった。

ボニー・プリンス・チャーリーとフローラ・マクドナルド

敗北して逃走するスチュアート家のボニー・プリンス・チャーリーを救ったフローラ・マクドナルドの記念碑(スカイ島、スコットランド、イギリス) その逃走するボニー・プリンス・チャーリーを助けたのが、ハイランドの娘フローラ・マクドナルドだった。

彼女はプリンスに女装させ、小舟でスコットランドの西に浮かぶスカイ島に連れて行ったらしい。右の画像は、そのスカイ島に残るフローラ・マクドナルドの記念碑なんだ。

フローラと共にスカイ島に渡ったスチュアート家のボニー・プリンス・チャーリーは、やがてフランスに逃れることが出来たらしい。しかし、アルコールにおぼれ、世間をうらんで生きていたんだそうな。

他方で、プリンスの逃走を助けたフローラ・マクドナルドは、反逆者として逮捕され、テムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉されてしまったんだそうな。

やがて許されて故郷へ戻ったフローラ・マクドナルドは、婚約者のアラン・マクドナルドと結婚し、二人でアメリカに渡った。しかし、アメリカの独立戦争の際にイギリスを支持した二人はアメリカにとどまることが出来ず、全てを失ってカナダへと移った。

やがて、夫アランが亡くなり、フローラはスコットランドに戻り、その地で西暦1790年に死去。その二年前にスチュアート家のボニー・プリンス・チャーリーも亡くなっていたらしい。

ハイランドのクランの象徴 タータン・チェック

カロデンの戦いの後、ハイランドのクラン(氏族)の結束の象徴でもあるタータン・チェックの着用が禁じられた。イギリス政府は、その時点でもまだクランの反抗を心配していたんだね。

ハイランドのクラン(氏族)の象徴ともいえるタータン・チェック(スコットランド、イギリス)

もちろん、今では自由にタータン・チェックを着用することが出来る。エディンバラのレストランなどでは、タータン・チェックを来た少女達のハイランド・ダンスを見ることも出来る。エディンバラのみならず、ロンドンあたりでもタータン・チェックを取り入れた土産物を買うことも出来るよね。(ちなみに上の画像は、エディンバラ市内で見たスコティッシュ・イブニングのハイランド・ダンスとバグパイプ。)

ついでながら、西暦1822年にスコットランドを訪問したハノーバー家のイギリス王ジョージ4世ロンドンリージェント・パークを作った人物)は、キルトを着用したらしい。それを見たスコットランドの人々は大喜びをしたそうな。

スコットランドの独立についての住民投票

西暦2012年、スコットランドの首相とイギリス政府との間で協議がまとまった。西暦2014年にスコットランドの独立についての住民投票を行うことになったんだ。その合意に基づき、西暦2014年09月18日に住民投票が行われた。でも、結果は独立反対。300年来の独立の夢は実現されなかったというわけだ。

でも、スコットランドは自治権の拡大を得ることになりそうだね。更にはスコットランドをめぐる今回の展開は、ウェールズや北アイルランドにおける独立あるいは自治権の拡大の要求をも活性化させることになるのかもしれない。老いつつある大英帝国の余生は静かなものにはならないのかな。

次のページ



姉妹サイト ヨーロッパ三昧

ヨーロッパ三昧

このサイト「ヨーロッパの歴史風景」の本館が「ヨーロッパ三昧」です。イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプト・ロシア・アゼルバイジャンなど25国45編の旅行記を掲載しています。こちらも遊びに行ってみてくださいね。

「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

Copyright (c) 2002-2013 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
管理・運営 あちこち三昧株式会社
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。