ネス湖から西へ、スコットランド西部の海岸に向かう(イギリス)イギリス北部スコットランド奥地のハイランドの中心都市インヴァネスから南へ向かう。
やがてネス湖のほとりのアーカート城を過ぎ、そのあたりから西へ向かってハイランドの谷間(上の画像)を抜けると、やがてスコットランド西部の海岸地帯に出る。
アイリーン・ドナン城 スコットランドの海辺の古城複雑な海岸線を西に向かって走り続け、カーブを曲がると、見えてくるのが下の画像にあるアイリーン・ドナン城だ。
いかにもハイランドらしい雰囲気の城でしょ。それもそのはず、映画「ハイランダーズ」の一部のシーンは、ここで撮影されたほどだからね。
スコットランドの混乱とアイリーン・ドナン城時は流れて西暦1263年、スコットランド王アレクサンダー3世が、この地域に勢力を持つノルウェー王ハーコン4世の軍を撃ち破った。その戦いに関する恩賞として、コリン・フィッツジェラルド(マッケンジー家の祖)が、アイリーン・ドナン城を与えられたらしい。当時のスコットランド西部ではヴァイキングの血を引くノルウェー王国が勢力を持っていて、人気の観光地となっているスカイ島などのヘブリディーズ諸島がノルウェー王国からスコットランドに譲られたのも西暦1266年のことだったそうな。 他方でスコットランドの南のイングランドも侵入して来ている。アイリーン・ドナン城と並ぶスコットランドの観光名所のネス湖のほとりのアーカート城は西暦1303年にイングランド王エドワード1世に攻略されている。 そして14世紀初頭、イングランドからの独立を回復した後にスコットランド王となるロバート・ブルースが、このアイリーン・ドナン城にかくまわれていたこともあったらしい。 14世紀から16世紀にかけては、スコットランド西部に勢力を持つロス伯爵家がアイリーン・ドナン城を狙っていた。他方、同じ時期に島嶼部・海岸地帯に強大な勢力を誇っていたマクドナルド一族も、幾度かこのアイリーン・ドナン城に攻撃を仕掛けてきたんだそうな。
スコットランドのアイリーン・ドナン城を守るスペイン軍
17世紀末から18世紀において、スコットランドのスチュアート家のイギリス王ジェームズ2世が名誉革命によって王位を追われた後も、ハイランドのジャコバイト派のクラン(氏族)は、スチュアート家の王位奪還のために幾度も反乱を起こした。 |
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