ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1719年、スペイン軍によって守備されたスコットランド西部のアイリーン・ドナン城が、イギリス政府艦隊の攻撃に陥落した。


ネス湖から西へ、スコットランド西部の海岸に向かう(イギリス)

イギリス北部スコットランド奥地のハイランドの中心都市インヴァネスから南へ向かう。

スコットランド西部ハイランドの風景(イギリス)

やがてネス湖のほとりのアーカート城を過ぎ、そのあたりから西へ向かってハイランドの谷間(上の画像)を抜けると、やがてスコットランド西部の海岸地帯に出る。

アイリーン・ドナン城 スコットランドの海辺の古城

複雑な海岸線を西に向かって走り続け、カーブを曲がると、見えてくるのが下の画像にあるアイリーン・ドナン城だ。

スコットランド西部の海岸にあるアイリーン・ドナン城遠望(イギリス)

いかにもハイランドらしい雰囲気の城でしょ。それもそのはず、映画「ハイランダーズ」の一部のシーンは、ここで撮影されたほどだからね。

ちなみに。アイリーン・ドナンというのは、ゲール語で「ドナンの島」という意味の言葉なんだそうな。「ドナン」というのは、6世紀末から7世紀の修道士。その修道士は、この島に草庵を結び、祈りの生活をしていたらしい。

スコットランドの混乱とアイリーン・ドナン城

時は流れて西暦1263年、スコットランド王アレクサンダー3世が、この地域に勢力を持つノルウェー王ハーコン4世の軍を撃ち破った。その戦いに関する恩賞として、コリン・フィッツジェラルド(マッケンジー家の祖)が、アイリーン・ドナン城を与えられたらしい。

当時のスコットランド西部ではヴァイキングの血を引くノルウェー王国が勢力を持っていて、人気の観光地となっているスカイ島などのヘブリディーズ諸島がノルウェー王国からスコットランドに譲られたのも西暦1266年のことだったそうな。

他方でスコットランドの南のイングランドも侵入して来ている。アイリーン・ドナン城と並ぶスコットランドの観光名所のネス湖のほとりのアーカート城は西暦1303年にイングランド王エドワード1世に攻略されている。

そして14世紀初頭、イングランドからの独立を回復した後にスコットランド王となるロバート・ブルースが、このアイリーン・ドナン城にかくまわれていたこともあったらしい。

14世紀から16世紀にかけては、スコットランド西部に勢力を持つロス伯爵家がアイリーン・ドナン城を狙っていた。他方、同じ時期に島嶼部・海岸地帯に強大な勢力を誇っていたマクドナルド一族も、幾度かこのアイリーン・ドナン城に攻撃を仕掛けてきたんだそうな。

スコットランドのアイリーン・ドナン城を守るスペイン軍
その城を陥落させたイギリス艦隊

17世紀末から18世紀において、スコットランドのスチュアート家のイギリス王ジェームズ2世名誉革命によって王位を追われた後も、ハイランドのジャコバイト派のクラン(氏族)は、スチュアート家の王位奪還のために幾度も反乱を起こした。

スコットランド西部の海岸にあるアイリーン・ドナン城(イギリス)

他方、スチュアート王家を支持する旧教カトリック勢力のスペインもジャコバイトに肩入れし、このアイリーン・ドナン城(上の画像)もスペイン軍の守備隊が守りを固めていたんだそうな。

そして、西暦1719年、スコットランドに残るジャコバイト(スチュアート家支持勢力)を掃討しようとするイギリス政府軍が、艦隊によってアイリーン・ドナン城を攻撃し、城は陥落してしまったんだ。

それ以後、陥落したアイリーン・ドナン城は打ち捨てられていた。しかし、西暦1932年、アイリーン・ドナン城が再建された。かつてアリリーン・ドナン城の所有者マッケンジー家の許で城代を務めていたマックレー家の子孫の手によるものだった。

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