イギリスの首都ロンドンの金融街シティにあるイングランド銀行イギリスの首都ロンドンに観光に行ったとしても、その中心である金融街シティへ行く人は少ないかもしれないね。でも、もしそれが仕事の旅だったならば、シティに立ち寄ることは多いんじゃないかな。
そんなロンドンの中枢シティのそのまた中心部が上の画像だね。地下鉄のバンク駅はこの交差点の地下にあるんだけど、その駅名のバンクの由来となっているのが、上の画像の左半分に見えているバンク・オブ・イングランド(イングランド銀行)だね。
フランス王ルイ14世太陽王とイギリスの戦争フランス王ルイ14世太陽王がアウクスブルク同盟戦争を始めたのは西暦1688年のことだった。その直後にイギリスでは名誉革命が起き、スチュアート家の国王ジェームズ2世がフランスの逃れ、オランダから来たウィリアム3世が王位を得たわけだ。ところが、西暦1690年にはイングランド南部にあるビーチー・ヘッドの沖合いでイギリス艦隊がフランス艦隊に敗れてしまった。従弟であるスチュアート家のジェームズ2世のイギリス回復を支援するフランス王ルイ14世太陽王との戦いを続けるためには、イギリス艦隊の再建が必要だった。でも、その為のお金がない。そのお金を工面するために設立されたのが、イングランド銀行だったんだ。 というわけで、設立されたイングランド銀行を通じて調達された資金で再建されたイギリス艦隊は、フランス艦隊を撃ち破ることができた。フランス周辺の各地で戦いを続けるフランスは資金を艦隊よりも陸軍に優先的に配分した。そんなわけでフランス艦隊は次第に劣勢に追い込まれていったんだ。
やむなくフランスは海においては私掠船による通商破壊に重点を移していった。そんな私掠船の拠点の一つが、上の画像にあるサン・マロ(世界遺産モン・サン・ミシェルからも近い)だった。そんな港町サン・マロなどに対して、再建されたイギリス艦隊は艦砲射撃などで攻撃したんだそうな。
イギリスのポンド紙幣とイングランド銀行そんなこんなで戦い続けたイギリスは、神聖ローマ帝国、ベルギー、オランダなどの同盟国と共にフランスを抑え込むことに成功し、西暦1697年にはアウクスブルク同盟戦争も終息した。でも、その戦争中に設立されたイングランド銀行はその後も重要な役割を果たし続けたんだ。イギリスの中央銀行としてのイングランド銀行は、物価の安定や金融の安定などにも重要な役割を果たしてきた。また巨大な金庫を持ち、イギリスの保有する金などの保管も重要な役割なんだそうな。
でも、私たちにとって最も身近に感じることの出来るイングランド銀行の役割は、上の画像に見ることの出来るイギリス・ポンド紙幣の発券かな。イギリスはヨーロッパ共通の通貨ユーロは導入しなかったから、今でも独自のイギリス・ポンドを使っているんだ。
スコットランドや北アイルランドのポンド紙幣昔はともかく、今では日本円の紙幣といえば日本銀行が発券したものに限るよね。でも、イギリス北部のスコットランドでは、下の画像に見るようなスコットランドの銀行が発券したポンド紙幣も使われている。下の画像は5ポンド紙幣なんだけど、スコットランドの1ポンド紙幣にはエディンバラ城を描いたものもある。
元々はイングランドでも様々な銀行が紙幣を発券していた。でも、次第にイングランド銀行にポンド紙幣の発券の機能を集中していったんだそうな。対して、スコットランドや北アイルランドでは、地元の銀行に発券の機能が残されているというわけだ。もちろん、スコットランドなどでもイングランド銀行のポンド紙幣は使えるし、逆もまた大丈夫ではあるんだけどね。
そんなイギリスについて、西暦2012年に興味深いニュースが流れた。スコットランド独立についての住民投票を西暦2014年に行うらしい。スコットランド独立支持は少数派らしいけど、もし独立を認める結果になったらどうなるんだろうね ・・・ 。
そしてスコットランドの独立を問う住民投票の結果は独立反対だった。というわけで、引き続きスコットランドはイギリス(正確にはグレート・ブリテンと北アイルランド連合王国)の一部であり続けている。
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