ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1610年、ベルギーに帰国したフランドルの画家ルーベンスがアントワープで「キリスト昇架」を描き始めた。


フランドルの画家ルーベンス

17世紀フランドル絵画の巨人あるいはバロックの巨人といえば、画家ピーテル・パウル・ルーベンスのことなんだそうな。ルーベンスはカラヴァッジョなどのバロック画家が活躍していたイタリアで宮廷画家として活動し、ベルギーに帰国後にフランドル独特のものを取り入れて、独自の絵画を築き上げたんだそうな。

ベルギーの街アントワープのノートルダム大聖堂の内部

そんな画家ルーベンスの絵を見ることができるのが、ベルギー第2の都市アントワープにあるノートルダム大聖堂なんだ。上の画像はそのノートルダム大聖堂(あるいは聖母マリア大聖堂)の内部なんだけど、正面奥の祭壇には、ルーベンスの絵「聖母被昇天」が掲げられていたりする。

画家ルーベンスがアントワープで描いた「キリスト昇架」

バロックの画家ルーベンスがアントワープに戻ってきたのは西暦1608年のことだった。そして西暦1610年に制作を始めたのが、下の画像にある「キリスト昇架」あるいは「十字架にかけられるキリスト」だった。

ベルギーの街アントワープのノートルダム大聖堂にある画家ルーベンスの絵「キリスト昇架」

ちなみに、イタリアで活動し、ベルギーに戻ってからはハプスブルク家のネーデルラント総督の宮廷画家となったルーベンスは、すぐに人気の高い画家となったらしい。

画家ルーベンスによる絵「キリスト降架」

アントワープのノートルダム大聖堂で「キリスト昇架」を完成させたルーベンスは、同じ大聖堂で「キリスト降架」(下の画像)の制作を西暦1612年に始めている。その完成は西暦1614年だったらしい。

ベルギーの街アントワープのノートルダム大聖堂にある画家ルーベンスの絵「キリスト降架」

そんな画家ルーベンスの宗教画は、一部には評価が低かったりもするらしい。例えばピカソはルーベンスが描く女性は高く評価していたにもかかわらず、その宗教画は気に入らなかったらしい。(余談ながら、ルーベンスはとっても肉付きの良い女性が好きで、「肉屋のルーベンス」なんて呼び名もあったんだそうな。)

ピカソとは逆にルーベンスの「キリスト昇架」や「キリスト降架」に憧れていたのが、ネロだった。ネロはクリスマス・イブの夜にこのノートルダム大聖堂で月明かりでルーベンスの絵を見ながら凍えて亡くなったんだ。つまり、ここでいうネロというのは物語「フランダースの犬」に登場するネロ少年のことなんだけどね。(つまり、架空の物語の登場人物なんだけどね。)

ヨーロッパ各地に赴いた画家ルーベンス

ベルギーの画家ルーベンスがアントワープのノートルダム大聖堂で「聖母被昇天」を完成させたのは、西暦1622年のことだった。その年、ルーベンスはフランスの首都パリに赴いている。故フランス王アンリ4世の王妃にしてフランス王ルイ13世の母であるマリー・ド・メディチ(メディシス)の注文によって、その生涯を絵に描く為だった。(その絵はパリのルーブル美術館で見ることができる。)

パリでの制作を西暦1625年に終えたルーベンスは、アントワープに戻り、ノートルダム大聖堂で「聖母被昇天」を完成させている。その後はハプスブルク家のネーデルラント総督の使者としてスペインのマドリッドなどを訪れたらしい。いくつもの言葉を話すことが出来たルーベンスは、外交官のような任務も与えられたんだそうな。

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