スペインを代表する作家セルヴァンテスの小説「ドン・キホーテ」世界で最も有名なスペインの人物は誰かといえば、頭に浮かぶのはハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)か、その息子のフェリペ2世か。あるいは現在のスペイン国王フアン・カルロス1世か。新大陸を発見したコロンブスはイタリア人だとされているし、・・・。私の大好きなエル・シドはちょいとマイナーかな。では、小説家セルヴァンテスか。いずれも名高い人物だよね。でも、老若男女を問わず、昔も今も世界中の多くの人々に知られているスペインの人物といえば、きっとドン・キホーテだよね。(下の画像はスペインの首都マドリッドのスペイン広場にあるドン・キホーテとサンチョ・パンサの像。)
もちろん、このドン・キホーテもサンチョ・パンサも架空の人物だね。スペインの作家セルヴァンテスの小説「ドン・キホーテ」の主人公とその従者だよね。その小説「ドン・キホーテ」前編は西暦1605年にスペインの首都マドリッドで出版されたんだ。
レパントの海戦にも参加したスペインの作家セルヴァンテス小説「ドン・キホーテ」を、いや世界的な有名人ドン・キホーテを生み出した作家セルヴァンテスは、西暦1547年にスペインの首都マドリッド近くの村で生まれたらしい。読書好きではあったけれども、貧しくて落ち着いて学校で勉強をするような境遇ではなかったとか。そんなセルヴァンテスは、やがてイタリアのナポリでスペイン軍の兵士になっている。西暦1571年、スペイン軍の兵士セルヴァンテスは歴戦の海軍指揮官サンタ・クルス侯爵のガレー船に乗っていた。やがて彼を乗せたガレー船は、ヴェネツィア、マルタ、バルセロナなどなどキリスト教ヨーロッパの各地の港から集まってきた艦隊に合流した。
やがて、ギリシャ近くの海に出撃したキリスト教諸国の大艦隊は、オスマン・トルコの大艦隊に対して画期的な勝利を得た。西暦1571年10月のことだった。その総司令官は、スペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)の庶子にしてフェリペ2世の弟にあたるドン・フアン・デ・アウストリアだった。(上の画像は、総司令官が乗っていたガレー船の実物大の復元模型。バルセロナの海洋博物館で見ることができる。)
セビリアで破門されたセルヴァンテス、そして刑務所ようやくスペインに帰国したセルヴァンテスだったけれども、レパントの海戦の勇士にも満足な職は得られず、しかし姉妹たちを含む大家族の暮らしは窮乏していた。そして西暦1587年、スペインが無敵艦隊によるイギリス遠征の準備を進めていたんだけど、セルヴァンテスはその無敵艦隊の食糧調達の仕事を得た。古都トレドからスペイン南部アンダルシア地方に派遣されたセルヴァンテスは、セビリアやコルドバ、その周辺の村々で小麦やオリーヴ・オイルなどを調達したらしい。(下の画像はスペイン南部アンダルシア地方の街セビリアにあるヒラルダの塔から見下ろした大聖堂の屋根と街並み。)
世界に冠たるスペインの栄誉をかけた無敵艦隊の出撃も近づき、上司からのプレッシャー(今でいうパワハラか ・・・ )は強まるばかり。そんな状況でセルヴァンテスによる食糧調達も厳しくならざるを得ない。教会が貯えている食糧も見逃すわけにはいかない。その挙句、西暦1587年の暮れにはセビリア大聖堂がセルヴァンテスを破門しちゃったらしい。彼の食糧調達が悪魔の所業だったとか ・・・ 。
小説「ドン・キホーテ」の出版と作家セルヴァンテス西暦1605年1月、スペインの首都マドリッドで小説「ドン・キホーテ」前編が出版された。この小説はあちこちで売れ、数年後には英語版やフランス語版も出版されたんだそうな。ところが、窮乏生活をしていたセルヴァンテスの懐には、さほどのお金が入らなかった。というのも、彼は西暦1604年には小説「ドン・キホーテ」前編の版権を出版業者に売り渡していたらしい。過去の作品が売れなかったものだから、少しでもお金になれば ・・・ と考えて、版権を安く売っちゃったんだろうね。 そして西暦1615年には小説「ドン・キホーテ」後編も出版された。ところが、作家セルヴァンテスは翌年には亡くなってしまった。結局、彼の貧しい暮らしは変わらなかったらしい。
そして現代、ヨーロッパに新しい通貨ユーロが導入された。上の画像はスペインで発行されたユーロのコインに描かれたセルヴァンテスなんだ。生涯にわたってお金に困っていた作家セルヴァンテスは、まさか自分がお金になるなんて思ってもみなかっただろうね。
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