ギリシャのクレタ島に生まれた画家エル・グレコ西暦1541年、ギリシャのエーゲ海に浮かぶクレタ島(下の画像)でドメニコス・テオトコポロスが生まれた。(余談ながら、ミノア文明の中心だったクノッソス宮殿で名高い島だよね。)
といっても、いったい誰のことだかわからないよね。この人物は後にスペインを代表する画家エル・グレコとして知られることになるんだ。
イタリアで学んだ画家エル・グレコ生まれ故郷のクレタ島でビザンティンの美術を学んだエル・グレコは、25歳の頃にイタリアの水の都ヴェネツィアに向かった。彼はそこでヴェネツィアの絵画技法などを学んだらしい。(下の画像はヴェネツィアの運河に浮かぶゴンドラの上の歌手。その上にはため息橋も見えている。)
更に画家エル・グレコはフィレンツェやローマでも絵を勉強したらしい。余談ながら、やはりイタリアは当時のヨーロッパの美術の先進国だったんだね。例えばベルギーのアントワープ大聖堂に代表作を残すルーベンスもイタリアで絵を勉強していたし、スペインの首都マドリッドのプラド美術館に多くの絵を見ることの出来るベラスケスやゴヤもイタリアで絵を学んだものね。
スペインに渡った画家エル・グレコイタリア各地で絵の勉強を重ねた画家エル・グレコは、西暦1577年にはスペインに渡り、まずは首都マドリッドに滞在したらしい。
そのスペインの首都マドリッドなんだけど、ハプスブルク家のカルロス1世(皇帝カール5世)から譲位されて即位したスペイン王フェリペ2世が西暦1561年に首都と定めたんだそうな。上の画像はそんなマドリッドのマヨール広場なんだけど、フェリペ2世が整備を命じたものらしい。但し、実際に整備が始められたのはフェリペ2世が亡くなった後のことだったけど。
古都トレドで代表作「オルガス伯の埋葬」を描いた画家エル・グレコスペインにやって来たギリシャ人の画家エル・グレコ(「ギリシャ人」を意味するらしい)は、間もなく古都トレドに移っている。下の画像はその古都トレドの風景なんだ。
その古都トレドのサント・トメ教会において、画家エル・グレコが代表作「オルガス伯の埋葬」を描いたのは西暦1586年のことだった。
All rights reserved 管理・運営 あちこち三昧株式会社 このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 |