ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1586年、スペインの古都トレドで画家エル・グレコが「オルガス伯の埋葬」を描いた。


ギリシャのクレタ島に生まれた画家エル・グレコ

西暦1541年、ギリシャのエーゲ海に浮かぶクレタ島(下の画像)でドメニコス・テオトコポロスが生まれた。(余談ながら、ミノア文明の中心だったクノッソス宮殿で名高い島だよね。)

ギリシャのクレタ島の風景

といっても、いったい誰のことだかわからないよね。この人物は後にスペインを代表する画家エル・グレコとして知られることになるんだ。

イタリアで学んだ画家エル・グレコ

生まれ故郷のクレタ島でビザンティンの美術を学んだエル・グレコは、25歳の頃にイタリアの水の都ヴェネツィアに向かった。彼はそこでヴェネツィアの絵画技法などを学んだらしい。(下の画像はヴェネツィアの運河に浮かぶゴンドラの上の歌手。その上にはため息橋も見えている。)

イタリアの水の都ヴェネツィアの運河に浮かぶゴンドラの上の歌手

更に画家エル・グレコはフィレンツェローマでも絵を勉強したらしい。余談ながら、やはりイタリアは当時のヨーロッパの美術の先進国だったんだね。例えばベルギーアントワープ大聖堂に代表作を残すルーベンスもイタリアで絵を勉強していたし、スペインの首都マドリッドのプラド美術館に多くの絵を見ることの出来るベラスケスやゴヤもイタリアで絵を学んだものね。

スペインに渡った画家エル・グレコ

イタリア各地で絵の勉強を重ねた画家エル・グレコは、西暦1577年にはスペインに渡り、まずは首都マドリッドに滞在したらしい。

スペインの首都マドリッドのマヨール広場の建物とスペイン王フェリペ3世の騎馬像

そのスペインの首都マドリッドなんだけど、ハプスブルク家のカルロス1世(皇帝カール5世)から譲位されて即位したスペイン王フェリペ2世が西暦1561年に首都と定めたんだそうな。上の画像はそんなマドリッドのマヨール広場なんだけど、フェリペ2世が整備を命じたものらしい。但し、実際に整備が始められたのはフェリペ2世が亡くなった後のことだったけど。

古都トレドで代表作「オルガス伯の埋葬」を描いた画家エル・グレコ

スペインにやって来たギリシャ人の画家エル・グレコ(「ギリシャ人」を意味するらしい)は、間もなく古都トレドに移っている。下の画像はその古都トレドの風景なんだ。

スペインの古都トレドの風景

その古都トレドのサント・トメ教会において、画家エル・グレコが代表作「オルガス伯の埋葬」を描いたのは西暦1586年のことだった。

ちなみに、そのオルガス伯(オルガス伯爵ゴンサロ・ルイス・デ・トレド)が亡くなったのは西暦1323年のこと。当時は荒れ果てていたサント・トメ教会を再興したのがオルガス伯だった。だから、サント・トメ教会に彼を描いた絵が残されているわけだ。そして現在もオルガス伯と画家エル・グレコのおかげでサント・トメ教会には多くの観光客がやって来るんだね。

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