ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1910年、画家マルク・シャガールがロシアからフランスの首都パリに向かった。


画家マルク・シャガールとロシアの古都サンクトペテルブルク

フランス南部コート・ダジュールのニースシャガール美術館がある。そこで旧約聖書をテーマにした多くの作品を見ることの出来る画家マルク・シャガールは、西暦1887年にロシアの街ヴィテブスク(今はベラルーシ領)で生まれたユダヤ人だった。

そんなマルク・シャガールが、西暦1907年(20歳の年)にロシアの古都サンクトペテルブルクに出てきた。そこで美術を学ぶ為だった。

ロシアの古都サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館

上の画像はロシアの古都サンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館なんだ。画家になろうと美術を学んでいたマルク・シャガールもこのエルミタージュ美術館の絵を見ただろうか。

画家マルク・シャガールがフランスの首都パリに向かった

マルク・シャガールがサンクトペテルブルクに出て3年後の西暦1910年、彼はフランスの首都パリに向かった。そこで更に絵を勉強したらしい。(下の画像はパリの北にあるモンマルトルの丘の様子なんだけど、マルク・シャガールもここに来ていたかな。)

フランスの首都パリの北にあるモンマルトルの丘の画家

その後、マルク・シャガールはロシアに帰国して結婚している。でも、西暦1917年にロシア革命が始まり、マルク・シャガールは西暦1923年に再びパリに移ったんだそうな。

画家マルク・シャガールのアメリカ亡命とパリ帰還

ところが、第二次世界大戦が始まってしまった。マルク・シャガールが住んでいたフランスもナチス・ドイツに占領された。ユダヤ人であったマルク・シャガールは、迫害を怖れて西暦1941年にアメリカに亡命している。

そして西暦1944年に連合国軍がフランスの首都パリを解放し、翌年にはドイツの首都ベルリンが陥落した。その2年後の西暦1947年には画家マルク・シャガールはフランスに戻ったんだそうな。

フランスのシャルトル大聖堂のシャルトル・ブルーで名高いステンド・グラス

上の画像はパリから特急列車で1時間ほどで行けるシャルトル大聖堂で見たシャルトル・ブルーのステンド・グラスなんだ。マルク・シャガールはこのシャルトル・ブルーを熱心に勉強したらしい。

画家マルク・シャガールのフランス国籍取得

第二次世界大戦後にフランスの首都パリに戻った画家マルク・シャガールは、西暦1950年にフランス国籍を取得している。フランス南部にずっと住み着くことを望んでいたらしい。

フランス南部プロヴァンス地方の岩山の上のゴルドの村の路地

そんな画家マルク・シャガールが愛した場所の一つが、フランス南部プロヴァンス地方にある岩山の上のゴルド村(上の画像がそのゴルド村の路地)なんだ。

このゴルド村をマルク・シャガールは画家や美術家の友人たちに教えたらしい。その結果、ゴルド村に移り住む芸術家が増えたんだそうな。但し、今ではそのゴルド村にはお金持ちの別荘が多いらしいけどね。

そんな画家マルク・シャガールは、西暦1966年に連作「聖書のメッセージ」をフランスに寄贈した。それらの作品を中心に西暦1973年にニースのシャガール美術館がオープンしたわけだ。それから12年後に亡くなったマルク・シャガールは、フランス南部コート・ダジュールのニース近くで眠っているんだそうな。

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