モナコ公国のモンテカルロにあるグラン・カジノといえば ・・・地中海北岸のコート・ダジュールにあるモナコ公国といえば、世界中のお金持ちが集まるリゾートだよね。青い海には豪華な白いヨットが浮かび、高級ホテルにレストラン、そしてハリウッド女優のグレース・ケリーと結婚した先代モナコ大公。それが私たちの描くモナコ公国かな。
そのモナコ公国の中でも特にモンテカルロのグラン・カジノといえば、その中でも極めつけのゴージャスな場所というイメージだよね。(上の画像はモナコ大公宮殿の城門近くから眺めたモナコ港。向こう岸の右側先端辺りにモンテカルロがある。)
財政難に陥ったモナコ公国とモナコ大公家時は200年以上も前のこと。フランス革命後に革命軍がニースやモナコ公国を占領し、モナコ大公は亡命を余儀なくされていた。その後、皇帝ナポレオンの没落後の西暦1814年、ようやくモナコ大公はモナコ公国に戻ることが出来た。ところが、モナコ公国の周辺部のマントンやロクブリュヌ(今はモナコ公国とイタリア国境との間にあるフランス領の土地)では、モナコ大公家に対する反発が強まっていた。そして西暦1848年にはマントンとロクブリュヌ地区はモナコ公国からの離脱を宣言し、税金を納めることを拒否したんだ。 そんなこんなで税収を失い、財政難に苦しむモナコ大公家(グリマルディ家)は破産寸前に陥っていた。そこで大公家の跡取り息子のシャルル(後のモナコ大公シャルル3世)は、モナコに温泉やカジノを建てて観光地として開発しようと計画したわけだ。(下の画像は今のモナコ大公宮殿。)
モナコ公国の最初のカジノがオープンしたのが西暦1856年のこと。今のカジノがあるモナコ港の東側のモンテカルロではなく、モナコ大公宮殿やモナコ大聖堂のある岩ロックの西側のコンダミーヌ地区に建てられたらしい。
モンテカルロにあるグラン・カジノそして西暦1863年、モナコ公国のモンテカルロにグラン・カジノがオープンした。下の画像がそのモンテカルロのグラン・カジノなんだけど、フランスの首都パリにあるオペラ座(オペラ・ガルニエ)と同じく、シャルル・ガルニエの設計なんだそうな。
このモナコ公国の新しい事業カジノを運営するために組織されたのが、ソシエテ・デ・バンズ・ド・メール(和訳すると「海水浴公社」になるらしいんだけど ・・・ )だった。この新しい公社の株主として、モナコ大公家(グリマルディ家)やモナコ政府、フランソワ・ブランなどは当然のこととして、モナコ司教や後のローマ教皇レオ13世(当時は枢機卿)などもいたらしい。
モンテカルロのオテル・ド・パリなど西暦1863年にモンテカルロでオープンしたグラン・カジノに続き、その翌年にはオテル・ド・パリ(下の画像)、西暦1868年にはカフェ・ド・パリなどもオープンしている。ちなみに、今もモナコ公国内の主要なホテルやレストランを経営しているのはソシエテ・デ・バンズ・ド・メール(「海水浴公社」)なんだそうな。
そんなこんなでモナコ公国のカジノと観光開発は大成功となり、西暦1869年にはモナコ公国における所得税の徴収は廃止されたんだ。それは今も続いていて、企業は別として、個人の所得税は無い。だから世界中のお金持ちが集まって来るんだよね。
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