モナコ公国の中心にある岩山現在のモナコ公国の大公家(グリマルディ大公家)が岩山の上の砦を奪い、モナコを占領したのは西暦1297年のことだった。
それ以来、上の画像にあるモナコ公国の中心となる岩山の上に城砦やがてはモナコ大公宮殿が営まれてきたんだ。
モナコ公国の主権と周辺諸国モナコ大公家であるグリマルディ家は、モナコ建国以来ずっと主権を維持してきたと基本的には言えるみたい。微妙な状況はしばし起こっていたし、かなりの綱渡り的な状況にも陥ったんだけどね。(下の画像は今のモナコ大公宮殿。モナコの岩山の上にある。)
西暦1297年の建国の後、西暦1489年にはフランスとサヴォワがモナコ公国の主権を承認した。ところが、西暦1525年にはスペインの保護下に入り、続いて西暦1641年にはフランスの保護下に入っている。
モナコ公国の主権を承認したフランスその後、イタリア統一を目指すサルディニア王家は、フランス皇帝ナポレオン3世と結び、ハプスブルク家との戦いの協力を得る見返りに領土の割譲を約束した。そして西暦1860年、ニースと共にモナコ公国の保護権はフランスに割譲されたわけだ。そのフランスが西暦1861年にモナコ公国の主権を承認している。といっても、やり手のビジネスマンのようなフランス皇帝ナポレオン3世が単なる善意でモナコ公国の主権を承認したわけじゃない。その際にモナコ公国はかなりの領地(岩山の上の鷲の巣村エズなど)をフランスに割譲している。その上でモナコ公国の主権が承認されたというわけだ。
ちなみに、上の画像はモナコ大公宮殿の衛兵。毎日11時55分に行われる衛兵交代は、モナコでも人気のイベントになっているんだ。イギリスの首都ロンドンのバッキンガム宮殿の衛兵交代ほどじゃないにせよ。(ついでながら、19世紀後半にはモナコ大公宮殿は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂と同様に、スイス衛兵が警護していたらしい。)
その後のモナコ公国の主権フランス革命の大波を乗り切ってモナコ公国の主権は保たれた。でも、その後も歴史の波にモナコ公国の主権は揺れ動いたんだ。まずは財政難。これはモンテカルロにカジノをオープンして乗り切った。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約ではフランスはモナコ公国を保護することとなっていた。でも、西暦1940年にはイタリアがモナコを占領し、西暦1943年にはドイツがモナコを占領したんだ。 その後、平和を取り戻したモナコ公国のレーニエ大公がハリウッド女優のグレース・ケリーと西暦1956年に結婚し、世界の注目を集めたりもした。(下の画像はレーニエ大公と大公妃グレース・ケリーが眠るモナコ大聖堂をモナコの岩山の上に見上げた様子。)
でも、その時点でのフランス・モナコ条約の規定では、モナコ大公家が断絶した場合にはモナコ公国はフランスに併合されることとなっていた。
ついでながら、フランス南部プロヴァンス地方に岩山の上の城跡が印象的なレ・ボー・ド・プロヴァンスという街がある。そのレ・ボーの元々の支配者だったボー一族が15世紀前半に断絶したんだけど、西暦1642年にレ・ボー侯爵の爵位がモナコ大公家に与えられている。その爵位は今のモナコ大公家に引き継がれている。
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