ヨーロッパの歴史風景 近代・現代編




西暦 1835年、マダム・タッソー蝋人形館がイギリスの首都ロンドンにオープンした。


アルザス地方の街ストラスブールに生まれたマダム・タッソー

西暦1761年、フランス東部アルザス地方の街ストラスブールでマリー・グロシュルツという女の子が生まれた。この女の子が成長してタッソー氏と結婚し、マダム・タッソーと呼ばれる女性になる。というわけで、わかり易くする為に、このページではマリー・グロシュルツのことをマダム・タッソーと呼ぶことにするね。結婚前のことも含めて。

マダム・タッソーの父親は、彼女が生まれる前に戦死していた。そんなわけで彼女の母親は赤ん坊を連れてスイスに移り、そこで内科医のクルティウス氏の家政婦となった。

フランス東部アルザス地方の街ストラスブールのプチ・フランスの風景

上の画像はマダム・タッソーが生まれたストラスブールにあるプチ・フランス地区の風景なんだけど、赤ん坊の時にスイスに移った彼女は見なかったかもしれないね。

フランスの首都パリに移ったマダム・タッソー

マダム・タッソーの母が家政婦をしていたクルティウス氏は、内科医ということもあって蝋を使って解剖模型を作る技術を持っていた。その技術で蝋人形を作ったところが評判となり、蝋人形の展示会を開く為にフランスの首都パリに移ったんだ。

そんなクルティウス氏から蝋人形の技術を教わり、その手伝いをしていたマダム・タッソーは、パリ近郊のヴェルサイユ宮殿(下の画像)に住み込み、フランス王ルイ16世の妹に蝋人形の技術を教えたんだそうな。

フランスの首都パリ近郊にあるヴェルサイユ宮殿

そんな時に起こったのがフランス革命だった。フランス王家に仕えていたマダム・タッソーは、民衆の敵ということでギロチンで処刑されることとなり、頭髪も剃られてしまった。

フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットのデスマスク

ところが、マダム・タッソーの蝋人形作りの技術が評価され、ギロチンで処刑される人々のデスマスクを作る仕事をすることで彼女の命は助けられたんだそうな。

フランスの首都パリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂に見るフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの像

そして西暦1793年に処刑されたフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットのデスマスクを作ったのもマダム・タッソーだった。(上の画像はパリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂にあるフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの像。)

イギリスの首都ロンドンでオープンしたマダム・タッソー蝋人形館

そんなわけで命拾いをしたマダム・タッソーは西暦1795年にタッソー氏と結婚し、息子二人を得ている。そんなマダム・タッソーは西暦1802年にイギリスの首都ロンドンに渡り、蝋人形の展示会を成功させている。

イギリスの首都ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館にあるフランス皇帝ナポレオンの蝋人形

ところが、やがてフランス皇帝となるナポレオンとの戦争の為にフランスに戻ることが出来なくなったんだそうな。(上の画像はロンドンのマダム・タッソー蝋人形館にあるナポレオンの蝋人形。)

そんなわけで、マダム・タッソーはスコットランドなどを含むイギリス各地で蝋人形展示会を開いて周った。そして長い歳月が過ぎ、マダム・タッソーは西暦1835年にロンドンにマダム・タッソー蝋人形館をオープンしたんだ。

西暦1850年、マダム・タッソーはイギリスの首都ロンドンで亡くなった。パリに残して来た老母と夫には二度と会うことは出来なかった。

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