ニースの海岸通 プロムナード・デ・ザングレサルディニア王家の領地だったニース(フランス南部コート・ダジュール)をフランス軍が占領したのは、フランス革命勃発から間もない西暦1792年のことだった。そんなニースがサルディニア王家に返還されたのは、フランス皇帝ナポレオン没落後の西暦1814年のことだった。その頃のニースには、長くて暗くてじめじめしているイギリスの冬を避けて明るくて暖かい地中海のほとりのコート・ダジュールで過ごすイギリス人が多かったらしい。(私もイギリスの首都ロンドンに長く暮らしていたから、その気持ちはとってもよくわかる。) 他方で、フランス各地からも職が無くて貧しく厳しい暮らしをしていた人々が暖かいニースに集まってきていたらしい。そんな人々の為の仕事を作り出す意味もあってニースに滞在していたイギリス人たちが提案したのが、海辺に散歩道を建設することだった。
そんなイギリス人たちの提案によって西暦1820年に完成したのが、上の画像にあるニースの海岸通あるいはプロムナード・デ・ザングレ(訳せば「イギリス人の散歩道」)だった。
ニースの海岸通にあるネグレスコ・ホテルその当時はサルディニア王家の領地だったニース。でも、統一イタリア王国成立の為の見返りとして、皇帝ナポレオン3世のフランスにニースが割譲されたのが西暦1860年のこと。そして西暦1864年には、フランスの首都パリとコート・ダジュールのニースを結ぶ鉄道が完成した。おかげで、ニースにはますます多くの人々が集まるようになり、この海岸通 プロムナード・デ・ザングレには多くのホテルやレストランがオープンしたわけだ。
上の画像はそんなニースの老舗ネグレスコ・ホテル。西暦1913年にオープンしたらしい。ついでながら、このホテルの中にあるレストラン「シャントクレール」で食べたシーフードが、とっても美味しかった。
春が早いニースのカーニバルで花のパレード2月のロンドンの公園を歩けば、咲いているのは小さくて白いスノードロップくらいのものかな。でも、春の早いニースのサレヤ広場の花市へ行けば、鮮やかな花々をたくさん見ることができる。そんな春の早いニースで2月に開催されるのがカーニバル。下の画像は、そのニースのカーニバルの際に海岸通 プロムナード・デ・ザングレで見た花のパレードの様子なんだ。
この花のパレードを見たいという多くの観光客が集まり、ニースの海岸通 プロムナード・デ・ザングレではパレードを見る場所を探す大混雑だったよ。私もその一人だったんだけどね。
ニースの海岸通から眺めた静かな地中海賑やかなカーニバルの花のパレードの翌日、ニースの海岸通 プロムナード・デ・ザングレから眺めた地中海が下の画像。静かでおだやかで明るい春の海だね。
暖かくて明るいニースといっても、まだ2月だからね。海辺の人影も少ないね。でも、夏になれば、このニースの海辺には多くの人々が集まるんだそうな。私も7月にニースに来たことがある。但し、その時にはニース空港からヘリコプターに乗ってモナコ公国へ行ってしまい、ニース市内を歩くことも出来なかったんだけどね。夏のニースも歩いてみたいもんだ。
ニースを襲った凄惨なテロ事件西暦2016年7月、このニースの海岸通 プロムナード・デ・ザングレで凄惨なテロ事件が起こった。トラックを運転する犯人が 2kmにわたって人々をはねとばし、死傷者は300人近くに及んだんだ。北アフリカ出身のフランス人である犯人は、イスラム過激派の主張に同調していたとも言われている。この事件の前年11月にはパリで大規模なテロも起きている。フランスを中心とするヨーロッパはとっても難しい状況にあるんだね。
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