ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1474年、フランスのブルゴーニュ公シャルル突進公がイングランド王エドワード4世とロンドン条約を結んだ。


イングランドのバラ戦争とブルゴーニュ公シャルル突進公

西暦1453年にイングランドとフランスとの間の百年戦争が終わり、ブルゴーニュ公フィリップ善良公シャルル突進公が着々と勢力を拡大していた頃、イングランドは薔薇戦争(バラ戦争)の渦中にあった。

百年戦争中にはブルゴーニュ公家と連携していたランカスター家のイングランド王ヘンリー6世はロンドン塔に幽閉され、対立するヨーク家のエドワード4世がイングランド王となっていた。(下の画像はイギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のほとりのロンドン塔。)

イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のほとりのロンドン塔

そんな状況もあって、元々はランカスター家と近い関係にあったブルゴーニュ公家もヨーク家との関係を改善し、西暦1468年にブルゴーニュ公シャルル突進公はヨーク家のイングランド王エドワード4世の妹であるマーガレット・オブ・ヨークと結婚していた。

フランス王とブルゴーニュ公によるイングランドへの介入

ところが、イングランドのキング・メーカーとも呼ばれたワーウィック伯が、ヨーク家のイングランド王エドワード4世と対立してフランスへ逃げてきた。そのワーウィック伯をフランス王ルイ11世が支援したらしい。

フランス王の支援を受けたワーウィック伯はイングランドに上陸。不意を受けたヨーク家のイングランド王エドワード4世はオランダへ逃れた。ワーウィック伯はロンドン塔に幽閉されていたランカスター家のヘンリー6世を解放し、彼をイングランド王としたんだ。西暦1470年のことだった。

その結果、ワーウィック伯をはさんで、イングランドのランカスター王家とフランスのヴァロワ王家との連携が成立した。百年戦争の間はあれほど激しく長い戦いを続けていた両王家が手を結んだというわけだ。

もちろん、オランダに逃れたヨーク家のエドワード4世もおとなしく引き下がってはいない。ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公の支援を得て、今度はエドワード4世がイングランドに逆上陸する。

西暦1471年4月には、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家の軍に勝ち、ワーウィック伯は殺害された。エドワード4世がイングランド王位に返り咲き、ランカスター家のイングランド王ヘンリー6世はロンドン塔に戻る破目になってしまった。今度はブルゴーニュ公家とヨーク家のイングランドとの提携が成立したわけだ。

ブルゴーニュ公シャルル突進公とアラゴン王家との同盟

友好的な関係にあるヨーク家のエドワード4世をイングランド王に復帰させたブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレール突進公は、更に外交的に攻勢をかけた。スペインのアラゴン王家とも同盟関係を結んだんだ。

ガウディの聖家族教会の塔の上から眺めたスペインの街バルセロナ

当時のアラゴン王ファン2世は、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方の支配をめぐってフランス王ルイ11世と対立していたこともあり、その背後に同盟者を求めていたんだ。(上の画像は、ガウディの聖家族教会の塔の上から見下ろしたバルセロナ市街。)

ブルゴーニュ公とイングランド王が結んだロンドン条約

そして西暦1474年には、ブルゴーニュ公シャルル突進公とヨーク家のイングランド王エドワード4世との間にロンドン条約が結ばれた。その主な内容が以下の通りだった。

  • ブルゴーニュ公はヨーク家のエドワード4世をフランス王と認める。
  • エドワード4世は、西暦1475年7月1日までに1万を越える軍を率いてフランスに侵攻する。
  • ブルゴーニュ公シャルル突進公は、エドワード4世上陸の折には、1万を越える軍を率いて支援する。
  • ブルゴーニュ公の所領については、エドワード4世に対する臣下の礼を免れる。
これじゃまるで百年戦争時代に逆戻りだよね。フランスのヴァロワ王家にとっては、難しい事態になりそうだ。

ブルゴーニュ公シャルル突進公の条約違反

ところが、ブルゴーニュ公シャルル突進公はロンドン条約で定めた期限まで大人しくしていることが出来ない。ハプスブルク家から買い取ったアルザス地方や、その隣のロレーヌ地方など、あちこちで戦争を繰り返していた。(下の画像は菜の花の咲き誇るロレーヌ地方の田園風景の眺め。ナンシーに向かう列車の車窓から眺めた風景なんだ。)

フランス東部ロレーヌ地方の街ナンシーに向かう列車から眺めた菜の花畑

そしてロンドン条約で定められた期限の西暦1475年7月、イングランド王エドワード4世は1万3千の兵を率いてフランスに攻めてきた。ところが、ロレーヌ地方での戦いに手間取っていたブルゴーニュ公シャルル突進公は、約束した1万に満たない少数の兵を率いて駆けつけただけだった。

イングランド王とフランス王との間のピッキニイの和約

約束した兵力を提供しなかったブルゴーニュ公突進公に対して、イングランド側は不信感を持たざるを得ない。しかも、その他のフランスの貴族たちは日和見を決め込んでいた。

加えて、フランス王ルイ11世はイングランド側に有利な条件をもって和平を提案してきた。その結果、西暦1475年にはイングランドとフランスとの間にピッキニイの和約が成立した。フランス王ルイ11世は事態の大局を把握する目を持ち、しかも決断力を持っていたみたい。

両王家の間に和約が成立したことを聞いたブルゴーニュ公シャルル突進公は、イングランド王エドワード4世に抗議した。しかし、イングランド側はブルゴーニュ公シャルル突進公のロンドン条約違反を以て反論。結局、ブルゴーニュ公シャルル突進公は、重要な盟友と大きなチャンスを逃してしまったというわけだね。

こうして少しづつ歴史のドラマの重大な局面が近づきつつある。でも、まだ結末は見えてはいない。この続きは ・・・

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