中世ブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロラン百年戦争時代のフランスにおいて、フランス王家をもしのいでいたのが、フィリップ・ル・アルディ大胆公(豪胆公)を初代とするヴァロワ家系ブルゴーニュ公国だった。(下の画像はフランス東部ブルゴーニュの古都ディジョンにあるブルゴーニュ公家宮殿。)
その第3代ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボン善良公の宰相がニコラ・ロランだった。宰相ニコラ・ロランは、西暦1435年にブルゴーニュ公フィリップ善良公とフランス王シャルル7世とが結んだアラス条約の締結交渉にも参加していたらしい。宰相としての地位を40年以上も保ったんだから、できる人物だったんだろうね。
オスピス・ド・ボーヌあるいはオテル・デューでも、宰相ニコラ・ロランが残したものとしては、下の画像にあるオスピス・ド・ボーヌ(あるいはオテル・デュー)を挙げるべきなんだろうね。いや、正確には宰相ニコラ・ロランとその奥方が共同で設立したらしい。
この施設が設立されたのが西暦1443年のこと。建物が完成したのが西暦1451年だった。そしてこの色彩鮮やかな建物を見るために、多くの人々がここを訪れるんだ。
貧しく傷ついた人々に無料で癒しを与えたオスピス・ド・ボーヌ当時のフランスでは、長く続いた百年戦争の為に多くの人々が傷ついていた。このオスピス・ド・ボーヌ(ボーヌ施療院)では、多くの貧しく傷ついた人々に無料で医療などを施していたんだそうな。そんな施設を中世ブルゴーニュ公国の宰相ニコラ・ロラン夫妻は設立したというわけだ。
上の画像はオスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)の内部なんだけど、かつてはここに多くのベッドが並んでいたんだろうね。そして奥には祭壇がある。祭壇画「最後の審判」も飾られていたんだそうな。医療で救えない人々には、神の救いを期待したんだろうね。
ブルゴーニュ・ワインの商都ボーヌとオスピス・ド・ボーヌ言うまでもなく、ブルゴーニュといえばフランスを代表するワインの産地だよね。例えば、グラン・クリュ・ワインの村ジュヴレ・シャンベルタンなどもブルゴーニュの中にある。そしてオスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)のあるボーヌの街はブルゴーニュ・ワインの商都でもあった。(下の画像はボーヌの街のワイン博物館。)
実はオスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)で貧しい人々に無料で医療を提供する基盤となっていたのがブルゴーニュのワインだった。つまり、中世ブルゴーニュ公国の貴族たちがワインを生み出すブドウ畑をオスピス・ド・ボーヌ(オテル・デュー)に寄進する。そのブドウ畑から生み出されるワインを売り、その収益が貧しい人々への施療の原資になったというわけだ。
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