ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1453年5月29日、メフメト2世率いるオスマン・トルコ軍の攻囲にビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルが陥落した。


オスマン・トルコのメフメト2世による
コンスタンティノープルの攻略

西暦1453年5月29日、巨砲と大軍をもって攻撃を続けていたメフメト2世指揮下のオスマン・トルコ軍が、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(今のトルコイスタンブール)を取り囲むテオドシウス帝の城壁を破壊し、市内になだれ込んだ。

ビザンティン帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世は乱戦の中に消えていき、古代ローマ帝国からの栄光を引き継いでいたビザンティン帝国が地上から姿を消してしまった。

トルコの古都イスタンブールに残る古代ローマ帝国時代のテオドシウス帝の城壁

テオドシウス帝の城壁とコンスタンティノープル

上の画像にあるのは、西暦413年に完成して以来、1000年以上にわたってコンスタンティノープルを守り続けてきたテオドシウス帝の城壁の様子なんだ。

そもそもテオドシウス帝の城壁が築かれるきっかけになったのは、イタリアの中心ローマが西暦410年にゴート族によって劫略された事件だった。その報せを受けた皇帝テオドシウス2世が建設を命じたのが、このテオドシウスの城壁なんだ。

イスラム教のモスクとされたアヤ・ソフィア大聖堂

コンスタンティノープルを攻略したオスマン・トルコのメフメト2世は、市内に入るとまずアヤ・ソフィア大聖堂でアラーの神に祈りを捧げた。

以後、4世紀からの歴史を誇るアヤ・ソフィア大聖堂はイスラム教のモスクとされたんだ。(下の画像は、現在のアヤ・ソフィアの内部の様子。)

トルコの古都イスタンブールに残るアヤ・ソフィア大聖堂の内部の様子

再び日の光をあびたキリストのモザイク

20世紀になり、オスマン・トルコは崩壊し、トルコ共和国となった。西暦1931年、モスクとなっていたアヤ・ソフィア大聖堂の壁の漆喰の中から、ビザンティン帝国時代のモザイク画(下の画像はその一つ)が発見されたんだ。

トルコの古都イスタンブールに残るアヤ・ソフィア大聖堂の漆喰の中から発見されたモザイク

その後、政教分離政策を採るトルコ共和国において、アヤ・ソフィア大聖堂(モスク)がビザンツ・オスマン博物館とされた。西暦1932年のことだった。

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