ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1454年、聖ヨハネ(マルタ)騎士団がキプロス島にコロッシ城を築いた。


聖ヨハネ(マルタ)騎士団が新築した
コロッシ城(キプロス島)

西暦1191年、第三回十字軍に参加するために聖地に向かっていたプランタジネット家のイングランド王リチャード獅子心王キプロス島を攻略した。その後、リチャード獅子心王はキプロス島をルジニャン王家に売却した。

そのキプロス島のルジニャン家の王ユーグ1世は、西暦1210年に聖ヨハネ騎士団にキプロス島コロッシの領地を与えた。その当時、聖地においては十字軍勢力は劣勢に陥っており、聖ヨハネ騎士団もその一角を担っていたんだ。

聖ヨハネ騎士団が築いたコロッシ城(キプロス) 西暦1454年、聖ヨハネ騎士団がコロッシの地にあった古い城を取り壊し、新しい城を築いた。それが右の画像にあるコロッシ城なんだ。

ちなみに、この時点で聖ヨハネ騎士団はロードス島(ギリシャ)を制圧しており、その本拠もロードス島に移していたんだけどね。ついでながら、この聖ヨハネ騎士団は後に本拠をマルタ島に移すことになる。故にその後はマルタ騎士団などと呼ばれたりもするわけだ。でも、それはまだ先の話なんだけどね。

ついでながら、現在の聖ヨハネ騎士団の本部イタリアの首都ローマにある。映画「ローマの休日」ゆかりのスペイン階段・スペイン広場から続くコンドッティ通りにあるんだ。

キプロスの王位争いと騎士団の争い

話を少し昔に戻して、14世紀の初頭のこと。キプロスを支配するルジニャン家の中で王位争いが起こった。当時のキプロス王アンリ2世から、その弟のアモーリーが王位を奪おうとしたんだ。

その王家の争いは周囲に波及した。テンプル騎士団はアモーリーを支持し、聖ヨハネ騎士団はアンリ2世を支持した。やがて、王位争いに勝利を得たのは王弟アモーリーだった。聖ヨハネ騎士団の領地だったコロッシはテンプル騎士団の手に移ってしまったんだ。

しかし、王位を得たアモーリーは暗殺者によって命を奪われた。しかも、テンプル騎士団はフランスにおいて異端の罪を問われ、1313年にはフランス王フィリップ4世によって解散させられてしまった。その結果、コロッシの領地は再び聖ヨハネ騎士団の手に戻ったと言うわけだ。

聖ヨハネ騎士団がキプロスに残したコマンダリア

しかし、西暦1468年にキプロス王ジャック2世がヴェネツィア貴族の娘カテリーナ・コルネールと結婚してからは、キプロスにおけるイタリアの水の都ヴェネツィアの勢力が強まり始めた。それを嫌った聖ヨハネ騎士団は、コロッシ城と荘園をヴェネツィア貴族に売却してしまったんだ。

キプロスの甘口ワイン コマンダリア 結局はキプロスの島を出て行った聖ヨハネ騎士団なんだけど、彼らを偲ばせるものが今でもキプロス島に残っている。それが右の画像にあるコマンダリア。

コマンダリアというのは、キプロス独特の甘口の白ワインなんだ。畑で完熟させたブドウを、日光に当てて水分を蒸発させる。その結果として糖度が高くなったブドウを使って作るのが、このコマンダリアという甘口ワインなんだ。

コマンダリアは、12世紀から14世紀にかけて、キプロス島にあった聖ヨハネ騎士団の所領で生産されていたんだそうな。当時の聖ヨハネ騎士団はキプロスに三カ所の所領を持っていたんだけど、その中でも最大だったのがグランド・コマンダリー。そこで生産されていたのが、このコマンダリアだった。

この甘口白ワインのコマンダリアは、今でもキプロス島で売られている。もしキプロス島に行く機会があれば、コマンダリアを買うといいかも。甘口だけど、中世の騎士団の味は他になかなか味わえないからね。

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