ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1347年、フランス南部プロヴァンス地方のマルセイユにペスト(黒死病)が上陸した。


ペスト(黒死病)がフランス南部プロヴァンスのマルセイユに上陸

西暦1347年、当時の地中海貿易で支配的な地位にあったイタリアのジェノヴァの船が、フランス南部プロヴァンス地方港町マルセイユに入港した。それが中世ヨーロッパにおけるペスト(黒死病)の大流行の始まりだった。(下の画像は、マルセイユの港と丘の上のノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院の風景。)

フランス南部プロヴァンス地方のマルセイユの港と丘の上のノートルダム寺院

古代ギリシャ・古代ローマの時代から地中海の代表的な貿易港マルセイユに上陸したペスト(黒死病)の流行によって、人口の3分の2が命を失ったらしい。港には水夫のいなくなった船が漂っていたんだそうな。

マルセイユからプロヴァンスに広がったペスト(黒死病)

ペスト(黒死病)という病気の感染力はとっても強いらしい。ペスト菌を広めるのはノミ・シラミなどなんだけど、患者からの空気感染によっても広まるんだそうな。

そんなわけで、マルセイユにペスト(黒死病)が上陸した翌年の西暦1348年には、フランス南部プロヴァンス地方各地に広がっていた。例えば、古代ローマ帝国時代からの歴史を持つ古都エクサン・プロヴァンス(エクス)でも流行したらしい。(下の画像はエクサン・プロヴァンスの市庁舎。)

フランス南部プロヴァンス地方の古都エクサン・プロヴァンス(エクス)の市庁舎

ペスト(黒死病)の惨禍は、プロヴァンス地方の各地に広がっていった。例えば西暦1348年には、ムスティエ焼き(陶器)で名高いムスティエ・サント・マリーの村や、岩山の上のゴルドの村などでも多くの人々が亡くなっている。

そしてペスト(黒死病)は更に各地に広がっていった。教皇のアヴィニョン捕囚によって教皇庁が置かれていたアヴィニョンの街では、人口の7割ほどが亡くなったんだそうな。

フランスの首都パリに達したペスト(黒死病)

マルセイユ、そしてプロヴァンス地方に広まったペスト(黒死病)は、ボルドーやリヨンを経て、とうとうフランスの首都パリにも達している。当時のフランス王フィリップ6世の王妃ジャンヌ・ド・ブルゴーニュは、西暦1348年にペスト(黒死病)で亡くなったんだそうな。

フランスの首都パリのシテ島にあるかつての王宮コンシェルジュリー

上の画像は、当時のフランス王家の王宮だったシテ島のコンシェルジュリーなんだ。後に王宮の座をルーブル宮殿(今のルーブル美術館)に譲ってコンシェルジュリーは牢獄になり、フランス革命の後には王妃マリー・アントワネットが入れられていた。

ペスト(黒死病)、その後

ペスト(黒死病)は更にアルザス地方(今はフランス領、当時は神聖ローマ帝国領)にも広がっていった。そのペスト感染の原因はユダヤ人が飲み水に入れた毒だというデマが広がり、アルザス地方の中心都市ストラスブールではユダヤ人の虐殺も起こっている。

そのアルザス地方の街コルマールでは、西暦1863年に古い家の壁の中から金銀宝石・指輪・銀食器などの財宝が発見されている。ペスト流行の際に略奪などを怖れたユダヤ人が隠したものなんだそうな。そのユダヤ人の家族がその後どうなったのかはわからないけれども。

西暦1348年にはポルトガルクレタ島、そしてイタリアでも流行し始めた。ヨーロッパ最古の大学に多くの学生が集まっていたイタリアの街道の街ボローニャでは、6万人近くに達していた人口の半分以上の人々が黒死病(ペスト)で亡くなったらしい。

同様に西暦1348年に黒死病(ペスト)が流行したトスカナ地方の街シエナも人口の半分を失っている。シエナ派の画家としてプブリコ宮殿にフレスコ画を残したアンブロージオ・ロレンツェッティも亡くなっている。シエナの経済は低迷し、シエナ大聖堂(ドゥオモ)の拡張工事は中断されてしまった。シエナはその後も衰退し続け、やがてスペインと組んだフィレンツェに征服されてしまった。

その年、同じくトスカナ地方の街サン・ジミニャーノ(中世イタリアの塔の街)も人口の半分を失っている。その結果、数年後にはフィレンツェに従属し、シエナに対する前進基地となってしまったんだそうな。ちなみに、そのフィレンツェの大聖堂(ドゥオモ)の建設工事も西暦1348年に中断されている。が、翌年には再開されたらしい。

西暦1349年にはイギリスの首都ロンドンでも流行し、その年の後半にはスコットランドに至っている。他方、ペスト(黒死病)はスペイン北東部カタルーニャ地方の街バルセロナヴァレンシアでも大流行したらしい。それがその後のアラゴン・カタルーニャ連合王国の停滞の原因の一つともなったんだそうな。

その後もペスト(黒死病)は何度も流行している。西暦1564年、西暦1580年、西暦1599年、西暦1629年、西暦1665年、そして西暦1720年と ・・・ 。

補足を一つ。このページでは西暦1347年にフランス南部マルセイユに上陸した黒死病(ペスト)から話を始めている。でも、実はペストはそれ以前にもヨーロッパに大きな影響を与えたいたんだ。西暦543年には皇帝ユスティニアヌス1世(大帝)の東ローマ帝国(ビザンティン帝国)で猛威をふるって多くの人々が落命している。その結果、帝国は長く沈滞を余儀なくされたんだそうな。

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