ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1226年、フランス王ルイ8世指揮下のアルビジョア十字軍がアヴィニョンを攻略した。


ローマ教皇特使の暗殺

西暦1208年、プロヴァンス地方古都アルルにおいて、ローマ教皇の特使ピエール・ド・カステルノーが暗殺された。(下の画像はアルルに残る古代ローマ帝国時代の円形闘技場の上から眺めた街並みとローヌ川。余談ながら、アルルは画家ゴッホが好んだ街だった。)

フランス南部プロヴァンス地方の街アルルの街並みとローヌ川

そもそも教皇特使が派遣されたのは、この地域に広がっていたカタリ派あるいはアルビ派と呼ばれる異端(ローマの教皇庁から見てだけど)を再びローマ教会組織に引き戻す為だった。しかしながら、むしろこの地域の人々の多くを破門してローマへの帰路に着く結果となってしまい、その途中のアルルで殺害されたということらしい。

終結したアルビジョア十字軍

教皇特使の暗殺という事態を受け、ローマの教皇インノケンティウス3世はアルビ派(あるいはカタリ派)に対する十字軍を呼びかけた。その呼びかけに応え、フランス北部を中心とする貴族たちが西暦1209年に集結したのが、フランス東部にある街リヨンだった。(下の画像はリヨンにある丘の上のフルヴィエール教会から眺めた街並み。)

フランス東部リヨンの丘の上にあるフルヴィエール教会の脇から眺めた街並み

シモン・ド・モンフォールを指導者とするアルビジョア十字軍の大軍は、リヨンからローヌ川を下り、プロヴァンス地方へと南下した。その軍勢の大きさに抵抗ができないと知ったプロヴァンス地方の貴族たちも、やむなくアルビジョア十字軍に加わらざるをえなかった。

その結果、西暦1213年にはアラゴン王ペドロ2世(後の征服王ハイメ1世の父親)は戦いに敗れて戦死し、西暦1215年までにはプロヴァンス地方・ラングドック地方のほとんどの地域がアルビジョア十字軍に征服された。しかし、その征服の途中でシモン・ド・モンフォールたちと対立したトゥールーズ伯レイモン6世たちは、アルビジョア十字軍を離脱して国外に亡命したらしい。その結果、シモン・ド・モンフォールがトゥールーズ伯となっている。

南仏貴族の反撃

ラングドック地方が征服され、フランス北部の貴族たちに領地が与えられ、アルビジョア十字軍は終結したと思われた。でも、西暦1216年、イングランドに逃れていたトゥールーズ伯レイモン6世がプロヴァンス地方の港町マルセイユに上陸した。(下の画像はマルセイユの港の風景。左奥の丘の上にノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院が見えている。)

フランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユの風景

他方で、ラングドック地方・プロヴァンス地方の人々は、フランス北部の貴族たちによる支配に反発していた。その結果、マルセイユに上陸したトゥールーズ伯レイモン6世の下には多くの人々が集まることになり、西暦1217年にはレイモン6世はトゥールーズを奪還することができたんだ。

対して、アルビジョア十字軍による征服の結果としてトゥールーズの支配者となっていたシモン・ド・モンフォールは西暦1218年に戦死。後継者のアモーリ・ド・モンフォールは退勢を挽回できず、次第に追い詰められていき、とうとう西暦1224年にはラングドック地方の支配をフランス王ルイ8世に譲渡したんだそうな。

ここで余談が一つ。敗色が濃くなっていたアルビジョア十字軍に参加していた騎士ギャスパール・ド・ステランベールは、傷を負って戦場を離れ、西暦1224年にローヌ川のほとりの谷で隠者として孤独な暮らしを始めたんだそうな。彼は隠者庵(エルミタージュ)を建て、その周囲にブドウ畑を作った。やがてそこで収獲されたブドウから作られたワインが、コート・デュ・ローヌを代表する赤ワイン「エルミタージュ」になったとか。

フランス王ルイ8世指揮下のアルビジョア十字軍がアビニョン攻略

ラングドック地方の支配権を引き受けたフランス王ルイ8世は、獅子王とも呼ばれる歴戦の指揮官だった。即位前の王太子の頃には、イングランドに上陸して転戦し、ドーバー城を攻囲し、首都ロンドンに入城し、セント・ポール大聖堂でイングランド王と呼ばれたこともあった。

そんなフランス王ルイ8世が、トゥールーズを奪還したレイモン6世の後継者であるレイモン7世に対する教皇の破門を得たのが西暦1225年。そして西暦1226年に新たなアルビジョア十字軍を組織し、自ら指揮して南に向かって進んだらしい。

フランス南部プロヴァンス地方の古都アヴィニョンの教皇宮殿のテラスから眺めた街並み

歴戦の指揮官にして準備万端のフランス王ルイ8世は、西暦1226年5月にはアヴィニョンを攻略している。(上の画像は教皇宮殿のテラスから眺めたアヴィニョンの街。アヴィニョンに教皇宮殿が出来たのは西暦1309年から始まる教皇のアヴィニョン捕囚の時代のことだから、ルイ8世の攻略の際には教皇宮殿は無かったけど。)

そんな破竹の勢いのフランス王ルイ8世だったけれども、アヴィニョン攻略の半年後には病死してしまった。フランス王位を継承したのは、12歳の少年ルイ9世(聖ルイ王)だった。結局、西暦1229年にアルビジョア十字軍を終息させたのは、先王ルイ8世の王妃にして新王ルイ9世の王母・摂政ブランシュ・ド・カスティリアだったそうな。

ついでながら、まだ少年だったフランス王ルイ9世(聖ルイ王)は、やがてパリサント・シャペルを建て、シャルトル・ブルーで名高いシャルトル大聖堂を完成させ、エジプトへの十字軍遠征に参加し、再び参加した十字軍遠征の際にチュニジアで亡くなったという興味深い人物だった。フランス王の中で唯一人、ローマ教皇によって聖人とされている。

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