ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1231年、ルーム・セルジューク・トルコの首都コンヤに、ジェラレッディン・ルーミーがメヴラーナ教団の道場を開いた。


ルーム・セルジューク・トルコの古都コンヤで見た
メヴラーナ教団の儀式

ルーム・セルジューク・トルコの古都コンヤで見たメヴラーナ教団の儀式 ある年の冬、ルーム・セルジューク・トルコの古都コンヤにあるホテルの一室に集まった私の目の前で、中世からの伝統を持つメヴラーナ教団の儀式(右の画像)が始まった。

ルーム・セルジューク・トルコの古都コンヤで見たメヴラーナ教団の旋回舞踏儀式のスター やがてトルコ風の音楽が始まり、裾の長い白い衣装を着た5人の若い僧が舞い始めた。

上に向けた右の掌でアラーの慈悲を受け、それを下に向けた左の掌で大地に放射しながら、逆時計回り(左回り)に旋回を続ける。(右の画像)

天上の音楽を聴きながら旋回し、神との一体感を感じながら無我の境地を得る。これがメヴラーナ教団の教えなんだそうな(下の画像)。

ルーム・セルジューク・トルコの古都コンヤで見たメヴラーナ教団の旋回舞踏儀式

神秘主義者ジェラレッディン・ルーミーとメヴラーナ教団

西暦1207年、アフガニスタン(あるいはトルクメニスタン)において、ジェラレッディン・ルーミーが生まれた。父は高名なイスラムの学者だった。しかし、父親の名声を危険視した彼の地の支配者によりは追放され、彼の一家は放浪の旅に出ることを余儀なくされた。

やがてルーム・セルジューク・トルコのスルタンだったアラエッディンの誘いを受け、神秘主義的なイスラムの教えを説くジェラレッディン・ルーミーはコンヤの街に落ち着いた。そこに彼がメヴラーナ教団の道場を開いたのは、西暦1231年のことだった。

その後、ルーム・セルジューク・トルコが滅び、オスマン・トルコの時代になっても、彼のメヴラーナ教団は生き続けた。しかし、オスマン・トルコが崩壊してトルコ共和国が生まれると、その指導者だったケマル・アタテュルクは政教分離政策を推進したんだ。そして、西暦1925年にメヴラーナ教団は解散を命じられた。

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