マルセイユ(マッサリア)に定住した古代ギリシャ人紀元前600年頃、フランス南部プロヴァンス地方のマルセイユに古代ギリシャ人が定住したらしい。そのマルセイユのことを、当時のギリシャ人たちはマッサリア(後の古代ローマ人たちはマッシリア)と呼んだみたいだね。(下の画像は、今のマルセイユの街を丘の上にあるノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院から眺めた風景。)
当時の地中海世界で古代ギリシャ人たちは活発に貿易活動を行い、あちこちで植民していたんだね。このマルセイユ定住と同じ頃にイタリア南部にはポセイドニア(今のパエストゥム)の街を築いているし、やがてイタリア南部のナポリ(当時はネアポリス)にも住み着いているね。
マルセイユから交易活動を広げた古代ギリシャ人マルセイユに定住した古代ギリシャ人は、今のフランス南部から更にはブルゴーニュ地方やスイスにまで交易活動の範囲を広げていったらしい。彼らはワインや塩漬けの豚肉、魚、珊瑚などを持って各地に向かった。
ついでながら、いまでもマルセイユを含むフランス南部プロヴァンス地方の魚料理は美味しいよね。上の画像は、マルセイユ名物のブイヤベースを給仕の様子。もちろん、古代ギリシャ人が交易に持って行ったのは、ブイヤベースじゃなくて塩漬けの魚だったけど。
フランス南部の各地に広がった古代ギリシャ人現代の商社でも銀行でもそうだけど、各地で恒常的にビジネスを行うとなれば、あちこちに支店を作りたくなるよね。交易活動の範囲を広げていった古代ギリシャ人たちもそうだったみたい。
彼らはマルセイユの交易の範囲内にある周囲の地中海沿岸に居住地を作っていった。例えば、今のニース、アルルやモナコ公国にも、更には今のスペイン北東部カタルーニャ地方(中心はバルセロナ)にも進出していたらしい。そんな彼らの居住地は、やがて街となって今に至るわけだ。
大西洋にまで進出した古代ギリシャ人マルセイユを拠点に交易を行った古代ギリシャ人たちは、地中海沿岸とフランスの内陸部だけで活動していたわけじゃなかった。彼らは大西洋にまで進出したらしい。紀元前6世紀には、彼らはポルトガルにも進出していた。紀元前 4世紀には、マルセイユの古代ギリシャ人の中には今のイギリス南西部のコーンウォール地方にまで航海したものもいたんだそうな。(下の画像はコーンウォールにあるティンタジェル城からの眺め。アーサー王が生まれたという伝説の場所だったりする。)
上に書いたコーンウォール地方は、古代の錫の産地だった。錫は青銅の原料として、古代の戦略資源だった。でも、結局のところはマルセイユから大西洋を経てコーンウォールに至る海のルートは商業的には採算に合わず、錫はフランス内陸を通って運ばれたらしい。冒険家が常に報われるとは限らない。それは今も古代も同じなんだよね。
余談ながら、イギリスの首都ロンドンにある大英博物館の古代ケルト関連の展示の中に、紀元前4世紀頃のウィタム・シールド(盾)というものがある。この盾の装飾には地中海産のサンゴが使われているらしい。ひょっとするとマルセイユ付近の古代ギリシャ人が交易の為に持って行ったものかもしれないよね。
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