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|  |   西暦250年、古代ローマ帝国統治下のイギリスで、聖アルバンが殉教した。
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 イギリス最初の殉教者 聖アルバンと西暦250年、イタリアのローマから勢力を拡大してきた古代ローマ帝国支配下のイギリスの街ヴェルラミウム(現在のセント・オバンス、ロンドン近郊の街)で、聖アルバン (St.Alban) が処刑された。当時は禁じられていたキリスト教の僧侶をかくまい、また自らもキリスト教に改宗したことが処刑の理由だった。セント・オバンス修道院・大聖堂
 古代ローマ帝国では、暴君として名高い皇帝ネロの時代からキリスト教徒の迫害が続いていたんだ。キリスト教の信仰が容認されたのは、皇帝コンスタンティヌスによるミラノ勅令からだった。ミルヴィオ橋の戦いでキリストの加護によって勝利を得たからともされている。そのあたりの事情はヴァティカン美術館・博物館の中のコンスタンティヌスの間のフレスコ画に描かれているんだ。
 
 西暦793年、アングロ・サクソン系のマーシア王国の王オファの命により、現在のセント・オバンス (St.Albans) の街に聖アルバンのための教会が築かれた。西暦1115年、フランスからやってきたノルマン人貴族たちによって、当時のイングランドで最大の修道院が築かれた。それが後にセント・オバンス大聖堂(下の画像)となる。
 
 
   
12世紀前半、ニコラスという若者がセント・オバンス修道院に入ることを希望したが、勉強不足を理由に許可されなかった。しかし、青年ニコラスはフランスで勉強を続け、やがて西暦1153年には法王ハドリアヌス4世となった。(一度や二度の受験失敗にくじけちゃダメだってことかな。)
 
 ヘンリー8世の修道院解散法と西暦1539年、イングランド王ヘンリー8世によって、修道院解散法が成立した。その結果、ファウンティンズ・アビーやグラストンベリー修道院などと同様に、セント・オバンス修道院も解散させられてしまった。セント・オバンス大聖堂の復活
 
   
西暦1553年、セント・オバンスの街の人々が、解散させられた修道院の建物を買い取り、教区教会として使い始めた。そして西暦1877年、セント・オバンスの教区教会が大聖堂に昇格した。(上の画像は現在のセント・オバンス大聖堂の内部の様子。)
 
 セント・オバンスの街このページでは最初から歴史の話が続いちゃった。ちょっとだけ余計なことも書いておくね。
 
   
ロンドンから BR の列車で15分ほどのセント・オバンスの街は、私の大好きな場所なんだ。特に大聖堂近くにある水鳥のいる公園(上の画像)を散歩するのが楽しいよ。
 しかも、公園の横には、とっても美味しいワッフルの専門店がある。この店にはいつも行列が出来るほど人気があるんだ。ロンドン郊外ではお薦めの街、セント・オバンス。
 
 
 
 
 
 
 
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