ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦212年、古代ローマ帝国のカラカラ帝が、ローマにカラカラ浴場を建設した。(イタリア)


古代ローマ帝国のカラカラ帝、皇帝の中でも代表的な暴君

古代ローマ帝国の皇帝の中で暴君としてまず名前があがるのは、多くのキリスト教徒を殺害した皇帝ネロかな。その次に暴君として挙げられる古代ローマ帝国の皇帝は、カラカラ帝かもしれない。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代ローマ帝国のカラカラ帝の胸像

上の画像は、イギリスの首都ロンドンにある大英博物館の中の古代ローマ関連の展示で見るカラカラ帝の胸像なんだけど、古代ローマ帝国のそれまでの皇帝の哲学者風の像ではなく、短い髪の軍人らしい姿で像を残した皇帝はカラカラ帝が最初なんだそうな。

属州ガリアで生まれたカラカラ帝

カラカラ帝の父親は皇帝セプティミウス・セウェルスなんだけど、彼が皇帝になる前にその長男として生まれたのが後に古代ローマ帝国皇帝となったカラカラ帝だった。

そのカラカラ帝は、西暦188年にガリア(フランス)のルグドゥヌム(リヨン)の街で生まれている。(下の画像はリヨンのフルヴィエールの丘に残る古代ローマ帝国時代の劇場。)

フランス第2の都市リヨンのフルヴィエールの丘に残る古代ローマ帝国時代の劇場跡

古代ローマ帝国は紀元前122年にフランス南部プロヴァンス地方エクサン・プロヴァンス(エクス)の街を築き、更に紀元前43年に内陸部に築いたのがルグドゥヌム(リヨン)の街だった。そのルグドゥヌムを中心に属州ガリア・ルグドゥネンシスを経営したらしい。

更に北上した古代ローマ帝国の人々は、後のブルゴーニュ地方にまで進出し、中世ブルゴーニュ公国の古都ディジョンも古代ローマ帝国の城砦から発展したものなんだそうな。また、ブルゴーニュ・ワインの代表的な産地であるジュヴレ・シャンベルタン村でも、古代ローマ帝国の人々がワイン用のブドウ畑を作っていたらしい。

そんな属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心ルグドゥヌム(リヨン)で生まれた古代ローマ帝国皇帝としては、カラカラ帝のみならず、クラウディウス帝もいた。後にブリタニア(イギリス)にロンディニウム(ロンドン)を建設させた皇帝だね。

ブリタニア遠征とカラカラ帝

ガリアの街ルグドゥヌムで生まれた先輩皇帝クラウディウスが進出したブリタニア(イギリス)北部(今のスコットランド)には、古代ローマ帝国の支配に敵対的なピクト人がいた。カラカラ帝は父親の皇帝セプティミウス・セウェルスと共にハドリアヌスの長城(城壁)の北まで遠征したらしい。

その遠征が終わり、ブリタニア北部にある古代ローマ帝国の城砦都市エボラクム(今のイギリス北部の街ヨーク)で父皇帝セプティミウス・セウェルスが亡くなったのは、西暦211年のことだった。(下の画像はヨークの古い街並みを残すシャンブルズ通り。)

イギリス北部の街ヨークのシャンブルズ通り

父の死後、カラカラ帝は弟のゲタと共に共治帝として古代ローマ帝国を支配することになった。ところが、イタリアのローマに戻った後のカラカラ帝とゲタ帝は鋭く対立し、やがてカラカラ帝は弟を殺害してしまったらしい。そんな弟殺しに対する批判が表面化したエジプトのアレクサンドリアでは、カラカラ帝は街を破壊し数万人を殺害したという話もある。

西暦213年には、カラカラ帝はドイツ中南部に住んでいたアレマン人を攻撃している。そこで古代ローマ帝国は勝利を得たものの、アレマン人に強烈な敵意を抱かせたんだそうな。やがてアレマン人は皇帝アウレリアヌスの時代にはイタリアに侵入し、5世紀にはライン川西岸に古代ローマ帝国が築いた街アルゲントゥラトム(今のアルザス地方の街ストラスブール)を攻略するに至るんだ。

他方でその後のカラカラ帝はシリアなどの東方の属州に移り住んでいる。その地でカラカラ帝は様々な建設工事を行ったものの、その資金調達の為に重税を課したり貴族たちの財産を没収したんだそうな。

そんなカラカラ帝は、父の皇帝セプティミウス・セウェルスと同じく、軍団や兵士たちの支持を重視する政策を続けたらしい。その結果、軍事費の負担はますます重くなり、財政収支は更に悪化した。カラカラ帝が属州の全ての人々にローマ市民権を与えたのは、財政問題を解決する為により多くの人々から税を徴収することが目的だったとも言われている。

カラカラ帝がローマに残したカラカラ浴場

そんなカラカラ帝が人気取りの為に始めたのが、今もローマに残るカラカラ浴場の建設だった。その着工は西暦212年、完成は4年後の西暦216年のことだった。

イタリアの首都ローマに古代ローマ帝国のカラカラ帝が残したカラカラ浴場

カラカラ浴場が完成した翌年の西暦217年、東方への遠征途上のカラカラ帝が近衛兵によって殺害された。個人的な恨みによる殺害だったらしい。マキャベリの「君主論」によれば、彼は情け容赦なく殺した男の兄弟を守備隊長としていており、その守備隊長によって殺害されたとか。あまりにも無鉄砲な措置だったとしている。

そんなカラカラ帝なんだけど、正しい名前はルキウス・セプティミウス・バッシアヌスというらしい。カラカラというのは属州ガリアのフードの付いた衣服を指す言葉で、彼が属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心地ルグドゥヌム(リヨン)で生まれたことからそう呼ばれていたんだそうな。

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