ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




西暦193年、パンノニア軍団に推戴されたセプティミウス・セウェルスが古代ローマ帝国皇帝に即位した。


初のアフリカ出身の古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルス

セプティミウス・セウェルスは、西暦145年に現在のリビアで生まれた。そして後には初のアフリカ出身の古代ローマ帝国皇帝になるわけだ。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスの像

そんな皇帝セプティミウス・セウェルスの姿が上の画像だ。イギリスの首都ロンドンにある大英博物館の中の古代ローマ関連の展示で見ることができるんだ。

リビアでは地元の名家の出身だった彼も、帝国の首都ローマに出れば、ただの田舎ものだった。でも、古代ローマ帝国の五賢帝の最後を飾る皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの許で執政官をしていた従兄の引きもあり、やがて元老院の議員になったらしい。

古代ローマ帝国の全盛期とも言われる五賢帝時代が終わり、皇帝コモドゥスの統治下でも、セプティミウス・セウェルスは出世を続けた。2世紀の後半にイタリアのローマで天然痘が流行し、多くの有力者が亡くなったことも彼には幸いしたんだそうな。

セプティミウス・セウェルスは、この時期にはガリア(フランス)のルグドゥヌム(リヨン)、シシリア、パンノニア(ハンガリー)などで総督などの職を歴任したらしい。また、この時期に先妻を亡くした彼は神官の娘と再婚し、長男(後の皇帝カラカラ)や次男(後にカラカラに殺されたゲタ)を得ている。

そして西暦193年、時の皇帝ペルティナクスが殺された。翌月、パンノニア(ハンガリー)において、軍団の支持を得たセプティミウス・セウェルスが古代ローマ帝国の皇帝として推戴されたんだそうな。

軍団の支持と皇帝セプティミウス・セウェルス

強力なパンノニア軍団を率いていたセプティミウス・セウェルスは、同様に古代ローマ帝国の皇帝を称していたライバルたちとの戦いに勝ち、やがて権力を確立したらしい。

そんな古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスは、支配の柱とする軍団を拡充し、兵士たちの給与を引き上げたんだそうな。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにある古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスの凱旋門

強化された軍団を率いた皇帝セプティミウス・セウェルスはシリアから東方へも遠征し、パルティアとの戦いにも勝利を得た。(上の画像はローマのフォロ・ロマーノに残る皇帝セプティミウス・セウェルスの凱旋門フランスの首都パリルーブル美術館テュイルリー庭園の間にあるカルーゼル凱旋門のモデルになったらしい。)

古代ローマ帝国内部の皇帝たちの戦いに勝って帝国内に平和をもたらし、帝国の外での戦いにも勝利を得た皇帝セプティミウス・セウェルスは、帝国の人々の支持を得ていたらしい。マキャベリの「君主論」によれば、彼のライオンのような獰猛さとキツネのような狡猾さは、特に兵士たちによって高く評価されていたんだそうな。

但し、キリスト教徒を迫害したとの話もある。例えば、ラヴェンナの初代司教だった聖アポリナリスは彼の迫害の際に拷問を受けて殉教したとの説がある。(皇帝ネロの迫害によって殉教したとの説もあるんだけどね。)

そんな皇帝セプティミウス・セウェルスは、西暦202年にはアフリカに遠征し、帝国の領土を広げたんだそうな。

皇帝セプティミウス・セウェルスによるスコットランド遠征

西暦208年、古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスは、再び遠征に出た。ブリタニア(イギリス)で自ら指揮を執ったらしい。

イギリス北部スコットランドとイングランド国境に残るハドリアヌスの長城(城壁)と砦跡

まずは上の画像にあるハドリアヌスの長城(城壁)を補修させ、更に北に向かい、今のスコットランドに侵攻して、古代ローマ帝国の統治に敵対するピクト人と戦ったんだそうな。

エボラクム(ヨーク)で亡くなった皇帝セプティミウス・セウェルス

スコットランドに住むピクト人に対して有利に戦いを進めた古代ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスは、西暦210年に和平を結んだらしい。そして明けて西暦211年2月、帝国の城砦都市エボラクム(今のイギリス北部の街ヨーク)で亡くなった。

イギリス北部ヨークのヨーク・ミンスター(大聖堂)の前に立つ古代ローマ帝国時代の石柱

上の画像はヨークの街にあるヨーク・ミンスター(大聖堂)とその前に立つ石柱なんだけど、この石柱が興味深い。このヨーク・ミンスターの地下に残る古代ローマ帝国時代の大広間の石柱の一本なんだそうな。

65歳で亡くなった皇帝セプティミウス・セウェルス。その二人の息子カラカラとゲタの兄弟が共治帝として古代ローマ帝国を支配することになった。ところが、二人は次第に対立していく。

そして母親が設けた二人の兄弟の和解の場で、兄の皇帝カラカラが弟ゲタを殺害したらしい。母にして皇帝セプティミウス・セウェルスの皇妃だったユリア・ドムナは自殺したという話もある。

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