モンマルトルは殉教者の丘(フランスの首都パリ)フランスの首都パリには観光名所が多いけれども、その一つがサクレ・クール寺院のあるモンマルトルかな。そのモンマルトルの名物といえば、やはり画家だよね。モンマルトルのあちこちでキャンバスに向かう画家の姿(下の画像)を見かけるよね。他にもサン・ピエール教会やパリに残る数少ないブドウ畑もあるね。
ところで、その「モンマルトル」という地名の意味なんだけど、「殉教者の丘」なんだそうな。つまり、「モン(丘)」+「マルトル(殉教者)」なんだってさ。
自分の首を持って歩いたサン・ドニ(聖ドニ)西暦3世紀の半ば、イタリアのローマから発してガリア(今のフランス)を支配していた当時の古代ローマ帝国では、キリスト教の信仰は許されてはいなかった。そんな古代ローマ帝国支配下のガリア(現在のフランス)の街ルテティア(今のパリ)に、一人の伝道者がやってきた。その名はディオニシウス。現在のパリの教会の創始者とも言われる彼は、このあたりにキリスト教を広めるためにやってきたわけだ。(彼は聖パウロの弟子とも言われるけど、年代的にはちょいと疑問だよね。) ところが当時はキリスト教は迫害されていた。西暦250年頃(273年とする資料もあるけど)、ディオニシウスは古代ローマ帝国の地方総督フェスケンニヌスに捕らえられ、拷問の末に斬首刑に処せられてしまった。その場所が、今のモンマルトルなんだ。 凡人ならば物語はここで終わる。だけど、後に聖人とされたディオニシウスの場合はそうではない。彼は切り落とされた自分の首を拾い上げ、歩き始めたんだそうな。 そんなディオニシウス(聖人となって聖ドニあるいはサン・ドニ)の姿を描いたのが右の像なんだけど、フランスの首都パリにあるクリュニー中世美術館で見ることができるよ。 サン・ドニ(聖ドニ)聖堂自分の首を拾い上げたディオニシウス(サン・ドニあるいは聖ドニ)はモンマルトルから歩き始めた。一説には6000歩を進んだ末に行き着いた場所で倒れ、そこに彼の墓が作られたんだそうな。やがて西暦630年、当時のメロヴィング朝フランクの王ダゴベールは、聖ドニ(サン・ドニ)の墓所に聖堂を建立した。それが現在も残るサン・ドニ聖堂の始まりなんだ。(下の画像は、パリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂。今までに何度も立て直されているけどね。) このモンマルトルの殉教者サン・ドニ(聖ドニ)は、後にフランス王国の守護聖人ともされている。他方、上の画像にあるサン・ドニ大聖堂はフランス王家の墓所とされ、フランス革命の際に処刑されたルイ16世とマリー・アントワネットの墓をはじめとして、歴代のフランス王・王妃たちの墓を見ることができるんだよ。 サン・ドニ大聖堂はフランスのゴシック建築の先駆余談ながら、今に残るサン・ドニ大聖堂は、フランスの教会がロマネスク様式からゴシック様式に変わった先駆的な建物なんだそうな。パリのノートルダム大聖堂やシャルトル大聖堂などは、このサン・ドニ大聖堂の影響を受けて建てられたらしいよ。そしてゴシック様式の教会や大聖堂の特徴は、ロマネスク様式と比べて窓が広くて多いこと。その窓にはステンドグラスがはめられ、特にバラ窓が特徴的なんだそうな。
上の画像はサン・ドニ大聖堂のバラ窓のステンド・グラスなんだ。ちなみに、シャルトル大聖堂のステンド・グラスはシャルトル・ブルーで名高いね。
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