西暦79年8月24日 ポンペイ(古代ローマ帝国)イタリア南部の夏の太陽が情け容赦なく乾いた大地を照らし続ける。そんな夏の日、突如として轟音がポンペイの大地を揺るがした。街を見下ろすヴェスヴィオ火山が怒り狂っている。たちまち火砕流と熱風と溶岩と火山灰がポンペイの街に襲いかかった。
首都ローマの喧騒を離れて静かなポンペイの別荘で暮らしていた貴族やお金持ちを含む多くの人々がここで亡くなったわけだ。(上の画像は発掘された古代の街ポンペイの街並み。)
古代ポンペイのバー、レストラン、別荘、市場、劇場などなどポンペイの古代遺跡には、当時の人々の暮らしを物語るレストラン、別荘、市場、劇場など様々な建物が残っている。
例えば上の画像は古代ポンペイのバーのカウンターだね。ここでワインなどの飲み物を注文することが出来たんだろうね。まるで今のロンドンのパブを思い出させるよね。
ナポリ国立考古学博物館に見るポンペイからの出土品古代ポンペイが埋もれてから1600年以上の歳月が流れた西暦1709年、井戸を掘っていた男が大理石の柱を見つけた。でも、まだ埋もれたポンペイの街が目覚める時は来ていなかった。そして西暦1748年、ナポリを支配していたブルボン家の王カルロス(ナポリ王としてはカルロ7世、後にスペイン王カルロス3世)が古代ポンペイの故地の発掘を命じた。それが火山灰のタイム・カプセルに封じ込められていたポンペイの街が目覚めるときだった。 発掘によって発見されたポンペイ古代遺跡からの出土品は、カルロスの息子のナポリ王フェルディナンドに継承された。フェルディナンドは父から継承したポンペイの出土品とファルネーゼ家のコレクションを保存・展示する博物館を設立した。それが今のナポリ国立考古学博物館になるわけだ。
今もナポリ国立考古学博物館ではポンペイからの多くの出土品が展示されている。上の画像のようなポンペイのモザイク画やフレスコ画も見ることが出来るんだ。
ポンペイから出土したアレクサンダー大王のモザイク画ナポリ国立考古学博物館で見ることの出来る古代ポンペイ遺跡からの出土品の中でも、格別のお宝が下の画像かな。
アレクサンダー大王を描いたモザイク画だね。上の画像の右手にはペルシャ王ダリウス3世が見えているんだけど、紀元前333年のイッソスの戦いが描かれているわけだ。
遺跡の保存は難しいみたい ・・・というワクワクさせてくれる古代ポンペイの遺跡と出土品なんだけど、その保存はとっても難しいみたい。2010年11月初旬には、ポンペイ遺跡の中の剣闘士の家が崩壊し、更に同月末には同じくポンペイ遺跡の中にある道徳家の家の壁も崩れてしまったらしい。そんな崩れつつある貴重な遺跡を守っていくには、やはりお金が必要なんだろうな。ところが、2011年からヨーロッパは揺れ続けている。ギリシャの財政危機を発端として、イタリアまでもが危機に瀕しているんだ。そんな厳しい状況は市民たちにも大きな影響を及ぼさざるを得ないよね。他方で厳しい財政状況はポンペイなどの貴重な遺産の保存にかける予算をも削る結果になってしまうんだろうね。もちろん、現在の生きている人々の暮らしを第一に考えなきゃいけないんだろうけど ・・・ 。
そして西暦2013年1月、ユネスコはポンペイ遺跡の保存状態に関する監視団を派遣した。前々年、前年に続く追加の視察だった。その結果、ポンペイ遺跡の中には崩壊の危険のある建物や劣化しているモザイク画などが確認されたそうな。このままでは世界遺産ポンペイが危機遺産に指定され、最悪の場合には世界遺産のリストからはずされる懸念もあるらしい。
世界遺産パエストゥムも良いよついでながら、古代遺跡に興味があるならば、世界遺産パエストゥムも良いよね。ナポリから南下してサレルノまで行き、そこから普通列車で1時間ほどのところにある。元々は古代ギリシャ人が築いた街ポセイドニアの遺跡なんだけど、後にパエストゥムは古代ローマの支配下に入っている。というわけで、パエストゥムでは古代ギリシャ時代の神殿などを見ることも出来るし、古代ローマ時代の遺跡も残っているわけだ。そんなパエストゥム(ポセイドニア)の遺跡が何故に残っているかが興味深い。ポンペイ遺跡は溶岩や火山灰の下で保存されてきたんだけど、パエストゥムは地盤沈下によって湿地化しマラリアが蔓延して人々が他へ移り住んだ結果として遺跡が残ったんだそうな。
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