ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1756年、モーツァルトがオーストリアのザルツブルクに生まれた。


モーツァルト - 美しい音楽とハチャメチャな人生

私はクラシックを聴かないわけではない。が、クラシックの作曲家の中でもモーツァルトは特に好き...とは言えない。というわけで、モーツァルトの伝記なんて読んだこともない。

そんな私にとって衝撃だったのは、1984年のアメリカ映画「アマデウス」に描かれたモーツァルトの人生だったね。彼の音楽の美しさとは正反対のハチャメチャな人生。あの映画の語るモーツァルトの人生が何処まで本当なのか知らないけど、とにかく印象的だったよね。

余談ながら、素晴らしい芸術家のハチャメチャな人生という意味では、イタリア・バロックの画家で殺人犯として逃亡中に亡くなったカラヴァッジョもモーツァルトに負けていないけど。

今は博物館となっているモーツァルトの生家(ザルツブルク、オーストリア) 話をモーツァルトに戻しましょう。もしモーツァルトの人生の真実についてもっと知りたければ、オーストリアのザルツブルクにあるモーツァルト博物館(右の画像)へ行ってみてはどうかな。

彼が生まれた家を改造した建物が、そのままモーツァルトの博物館になっているんだ。博物館の中には、彼の自筆の楽譜や、子供の頃に使っていた楽器も展示されていたよ。

楽聖モーツァルトの誕生(ザルツブルク、オーストリア)

もーつぁるとも使ったと言われるザルツブルク大聖堂の洗礼盤(オーストリア) 上に書いたことでもわかるけど、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが生まれたのは、オーストリアの街ザルツブルク。西暦1756年1月27日のことだった。

生まれて間もないモーツァルトは、街にあるザルツブルク大聖堂で洗礼を受ける。右の画像にある大聖堂の洗礼盤は、モーツァルトも使ったものだと言われているんだ。

ちなみに、父のヨハン・ゲオルク・レオポルト・モーツァルトも音楽家だったんだ。

天才モーツァルト

西暦1761年、5歳のモーツァルトは初めて作曲に挑戦したらしい。バルセロナにあるピカソ美術館でも思ったことだけど、やはり天才は幼い頃から凡人とは違うよね。

西暦1762年には、6歳のモーツァルトがミュンヘンとウィーンへ演奏旅行に行っている。その翌年には、フランスの首都パリイギリスの首都ロンドンへの公演旅行だ。自慢じゃないが私が初めて海外へ出たのは、33歳のときだった。

西暦1765年、9歳のモーツァルトが初めての交響曲を作った。しかし、その年には腸チフスにかかり、二年後には天然痘になっている。子供の頃から病弱だったみたい。そういえばモーツァルトの三人の兄達も皆早死にしている。

西暦1777年、20歳のモーツァルトはザルツブルクで宮廷音楽家になった。翌年には仕事を休職してパリへ。ザルツブルクの宮廷音楽家に復職したのは西暦1779年のことだった。

極めて下世話な話で恐縮なんだけど、休職したのはある女性と恋に落ちた年、復職したのは失恋した年。女性関係が仕事に影響を与えるとは、モーツァルト君も若いね。

モーツァルトの家庭生活と死

オーストリアの首都ウィーンにあるモーツァルトの像 西暦1782年、26歳のモーツァルトが結婚した。翌年には長男が生まれるが二ヶ月で亡くなった。虚弱な血筋なのか、それともこの時代では普通のことなのか...。

西暦1784年には次男が誕生。その二年後に「フィガロの結婚」が完成し、ウィーンやプラハで上演された。同じ年、三男が生まれたがすぐに亡くなっている。

西暦1787年、ウィーンを訪れたベートーベンと会った。また、「ドン・ジョヴァンニ」がプラハで上演された。同じ年に長女が生まれたが、翌年の1788年に死去。西暦1789年、次女が生まれたが、すぐに亡くなっている。

西暦1791年、四男が誕生。「魔笛」がウィーンで初演。その年の12月、35歳のウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが貧困のうちに亡くなった。(右の画像はウィーンにあるモーツァルトの像。)

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