ヴェルサイユ宮殿とフランス王ルイ14世(太陽王)幼くしてフランス王となったブルボン家のルイ14世(太陽王)の宰相として政治を取り仕切っていたマザランが西暦1661年に亡くなった。その時から絶対君主ルイ14世の親政が始まった。この年、太陽王ルイ14世は財務卿フーケのヴォー・ル・ヴィコント城に招かれた。この城はルイ14世に強烈な印象を残したらしい。その財務卿フーケは間もなく公金横領の罪で逮捕されるんだけど、それが彼の城の豪華さと関係していたとか ・・・ 。
その同じ西暦1661年、フランス王ルイ14世はフランスの首都パリから 20kmほどのところにある先王ルイ13世の狩のための館の改造に取りかかった。まずは館の若干の増築、そして庭園の大改造だ。それが後のヴェルサイユ宮殿だった。(上の画像はヴェルサイユ宮殿の庭園。)
ヴェルサイユ宮殿の建物の拡張西暦1668年からはヴェルサイユ宮殿の館の拡張工事が始まった。その責任者は財務卿フーケの城の建築に携わった建築家ルイ・ル・ヴォーだった。その後、太陽王ルイ14世は彼自身の宮廷と政府の役所を、この新しい宮殿に移すこととし、その為の大拡張工事が始まった。建築の責任者は、ルイ・ル・ヴォー、フランソワ・ドルベ、ジュール・アルドアン・マンサールと移り変わっていった。
西暦1678年から始まった大規模な拡張工事においては、バロック様式に改装され、新しく二つの翼が追加された。(上の画像は、現在のヴェルサイユ宮殿の門とその向こうに宮殿の建物。)
歴史の舞台となったヴェルサイユ宮殿太陽王とも称されたフランスの絶対君主ルイ14世が長い歳月と巨額の費用をかけて造営したヴェルサイユ宮殿は、その後もフランスあるいはヨーロッパの歴史の大舞台であり続けた。西暦1789年に始まったフランス革命においては、パリの民衆がヴェルサイユ宮殿に押し寄せ、フランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットをパリへ連れて行ったんだ。
また、西暦1871年に普仏戦争において勝利を得たプロシアのヴィルヘルム1世は、このヴェルサイユ宮殿の中にある鏡の間(上の画像)において、ドイツ皇帝として即位している。つまり、ヴェルサイユ宮殿がドイツ帝国成立の舞台となったわけだ。(その普仏戦争でフランス皇帝ナポレオン3世は捕虜となり、イギリスへ亡命することとなった。)
ところで全くの余談なんだけど、後にロンドンにマダム・タッソー蝋人形館を作ったマダム・タッソーは、かつてこのヴェルサイユ宮殿に住んでいたことがあるらしいよ。フランス王ルイ16世の妹に蝋人形作りを教える仕事をしていたんだそうな。
パリのテュイルリー宮殿ちなみに、フランス王ルイ14世太陽王がヴェルサイユ宮殿の造営を命じてから宮廷を移すまで20年以上もの歳月がかかったんだけど、その間は王はパリのテュイルリー宮殿に住んだいたらしい。
そのテュイルリー宮殿の庭園(上の画像は今のパリのテュイルリー庭園)を作ったのは、造園家ル・ノートルだった。そのル・ノートルは、ルイ14世を驚かせた財務卿フーケの城の庭園作りの担当者だった。そしてヴェルサイユ宮殿の庭園の担当者ともなったんだ。
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