ヨーロッパの歴史風景 近世編




西暦1642年、イタリアのピサに生まれ、落下の法則・振り子の法則を発見し、地動説を支持したガリレオ・ガリレイが亡くなった。


イタリアのピサに生まれたガリレオ・ガリレイ

西暦1564年、ガリレオ・ガリレイはイタリアのピサに生まれた。父親はイタリアの古都フィレンツェ生まれの音楽家だったそうな。当時のピサはフィレンツェを本拠とするメディチ家のトスカナ大公の支配下にあった。

イタリアの名高い観光名所 ピサの斜塔

ガリレオ・ガリレイが生まれたピサを代表する、いやイタリアを代表する観光名所が上の画像(kaoringoさんから戴いたもの)にあるピサの斜塔だよね。ガリレオはこの斜塔から落とした大小二つの球の落下のスピードが同じであるという実験を行い、落下の法則を発見したという話があるよね。実話じゃないらしいけど ・・・ 。

ピサの大聖堂とガリレオ・ガリレイ

ガリレオ・ガリレイとピサに関する話としては、下の画像にあるピサの大聖堂の天井から下がるランプを見て、振り子の法則を見出したというのもあるね。つまり、振り子が大きく揺れても小さく揺れても、振り子の往復に要する時間は同じということなんだそうな。

イタリアのピサの大聖堂にあるランプ

でも、ピサの斜塔における落下の法則の実験と同じく、大聖堂のランプに関する振り子の法則の実験の話も史実ではないらしい。とはいえ、実験による確認や証明を重視するガリレオ・ガリレイの科学的な姿勢を物語る伝説ではあるかな。

地動説を支持したガリレオ・ガリレイと異端裁判

17世紀初頭、オランダで望遠鏡が発明された。その話を聞いたガリレオ・ガリレイは西暦1609年に望遠鏡を自作している。その翌年、望遠鏡を使って彼は木星の衛星を発見したらしい。木星の周囲を衛星が回っているなんて、天動説に反することだよね。

更に彼は望遠鏡で観測した金星が、月と同じように満ち欠けをすることを発見した。これも天動説に反する現象なんだそうな。そんなこんなでガリレオ・ガリレイはポーランドの学者コペルニクスが主張した地動説を支持すべきだと確信したんだそうな。

そんなガリレオ・ガリレイと地動説の是非について論争したドミニコ会の修道士は、ローマの教皇庁にガリレオの異端を訴えた。西暦1616年にローマ教皇庁に呼び出された彼は、異端裁判を受け、二度と地動説を主張しないようにと命じられたらしい。(異説や疑問は多いが。)

ところが、ガリレオ・ガリレイは西暦1630年に地動説を解説する書物を著し、それが2年後にはフィレンツェで出版されている。そして西暦1633年、再びローマに呼び出され、異端裁判を受けることになったんだ。

1回目の異端裁判では友人の枢機卿バルベリーニが擁護してくれたそうな。でも、2回目の異端裁判では、その時点でローマ教皇ウルバヌス8世となっていた枢機卿は支援してくれなかったらしい。

ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるベリニーニのバルダッキーノ(天蓋)の土台に見る教皇ウルバヌス8世の紋章(イタリア)

ちなみに、上の画像はウルバヌス8世の紋章なんだけど、サン・ピエトロ大聖堂にあるベルニーニによるバルダッキーノ(天蓋)の土台に付いている。教皇はバロックの芸術家ベルニーニの庇護者だった。ついでながら、ヴァティカン宮殿の中には教皇ウルバヌス8世の礼拝堂もある。

2回目の異端裁判の結果、有罪とされたガリレオ・ガリレイはローマにあるトスカナ大公国の大使館に軟禁れている。当時のトスカナ大公フェルディナンド2世の父親のコジモ2世は、子供の頃にガリレオが家庭教師をしていた人物だった。

やがてガリレオはシエナの大司教の邸宅に移され、更にはフィレンツェ郊外の自宅での軟禁とされている。やがて視力を失った彼は、西暦1642年に亡くなったんだそうな。

その後のローマ教皇庁とガリレオ・ガリレイ

イタリアの古都フィレンツェのサンタ・クローチェ教会にあるガリレオ・ガリレイのお墓 ローマ教皇庁による異端裁判で有罪とされたガリレオ・ガリレイは、その死後もカトリックとしての埋葬が許されなかった。

それから100年近くが経った西暦1737年、ようやく彼の埋葬が許された。右の画像はフィレンツェサンタ・クローチェ教会にある彼のお墓なんだ。

でも、ガリレオが西暦1630年に著した地動説の書物は禁書のままだった。その禁書が解かれたのは、西暦1822年のことだった。

そして西暦1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が異端裁判についてガリレオに謝罪した。彼の死から既に350年が経過していた。

そのローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、西暦1981年に来日し、広島と長崎を訪れ、平和を訴えた人物でもある。また、西暦1982年にはフラ・アンジェリコ(フィレンツェのサン・マルコ美術館に多くのフレスコ画を残した宗教画家)を福者と認めているんだ。

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