岩山の上の鷲の巣村エズから眺めた地中海フランス南部コート・ダジュールのニースを訪れる観光客がちょいと足を伸ばしてやってくる岩山の上の鷲の巣村エズという場所がある。(ニースからエズまでは車で20分ほどかな。)
このエズ村へ来れば、海抜400メートルを越える岩山の上から、上の画像のようなコート・ダジュールの地中海の眺めを楽しめるというわけだ。
襲撃に怯えて暮らしたエズ村の人々でもね、このエズ村の昔の村人たちは、眺めを楽しむためにこんな岩山の上に鷲の巣のような村を作ったわけじゃないんだ。(下の画像は中世の面影を残すエズ村の迷路のような路地。)
かつてイベリア半島に進出したイスラム教徒は、地中海北岸(今のフランス南部プロヴァンス地方)を東へと進み、8世紀前半にはこのエズ村もイスラム教徒に占領されている。その後も10世紀後半に至るまでエズ村はイスラム教徒の襲撃に怯えて暮らし、故にこんな岩山の上に村が築かれたというわけだ。
フランス王フランソワ1世と神聖ローマ帝国皇帝カール5世ところが、このあたりからイスラム教徒が駆逐されて後も、エズ村には平和は訪れなかった。エズ村は神聖ローマ帝国に属するサヴォワ公家に領有されていたんだけど、その結果としてフランスと敵対することになったんだ。しかも西暦1480年にエクサン・プロヴァンス(エクス)でプロヴァンス伯ルネ・ダンジューが亡くなり、最終的にプロヴァンス領がフランス王に属することとなってしまった。つまり、フランス王の支配がコート・ダジュールからも近いマルセイユ(下の画像はマルセイユの港)などに及んだわけだ。その結果、ニースやエズなどのあるコート・ダジュールは、フランスと神聖ローマ帝国との対立のまさに最前線に位置することとなってしまった。
そんな状況下で西暦1515年に即位したフランス王フランソワ1世は神聖ローマ帝国皇帝カール5世の宿敵たる人物だった。そのフランス王は宿敵カール5世を倒すために、異教徒であるイスラム教徒のオスマン・トルコとも手を結んだんだ。
フランス領となったエズ村その後もエズ村はパリ近郊にあるヴェルサイユ宮殿の造営で名高いフランス王ルイ14世太陽王の軍によって城壁を破壊されたり、フランス革命後にはニースやモナコ公国ともどもフランスに併合されたり、皇帝ナポレオン没落後にはサルディニア王家に返還されたり、西から東から相次いで打ち寄せる政治の波をかぶり続けてきたんだ。そんなエズ村が最終的にフランス領となったのは、西暦1860年にサルディニア王国がニース付近の土地をフランスに割譲した時のこと。フランス皇帝ナポレオン3世がサルディニア王国による統一イタリア王国成立に協力した見返りとしての割譲だった。そして今はニース近くの人気の観光地となっているわけだ。
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