歴史あるザルツブルク大聖堂と大司教座おそらくはケルト系の街を土台にして、現在のザルツブルクの街(当時の名前はユリーウム)が建設されたのは古代ローマ帝国時代のこと。イタリアのローマから勢力を拡大してきた古代ローマ帝国は、このあたりまで支配を広げていたわけだ。その後、西暦798年にはザルツブルク司教座が大司教座に昇格し、ドナウ川流域からアルプス山脈の東麓への布教活動を担うこととなったらしい。(下の画像は現在のザルツブルク大聖堂とレジデンツ広場の噴水。) といっても、当時の大司教はミサだけを執り行う聖職者というわけじゃない。武装して戦陣に赴く存在でもあったわけだ。例えば、西暦907年にはザルツブルク大司教は、後にハンガリー王国を建国するマジャール人とバイエルン軍との戦いに参加して戦死しているんだ。 独立的なザルツブルク大司教領それでも、東方へのキリスト教の布教を担っていたザルツブルク大司教座には、神聖ローマ帝国皇帝や諸侯が種々の財産を寄進した。その結果、ザルツブルク周辺に多くの領地を持つこととなった豊かなザルツブルク大司教座は、独立的な諸侯としての地位を築いていったわけだ。(右の画像は、現在のザルツブルク大聖堂の内部。) ナポレオンによるドイツ(神聖ローマ帝国)諸侯領再編
神聖ローマ帝国の中で独立的な地位を誇っていたザルツブルク大司教領が、ハプスブルク家の支配するオーストリアに帰属するようになったのは西暦1803年のこと。 |
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