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西暦 1803年、ナポレオンによるドイツ(神聖ローマ帝国)諸侯領再編により、ザルツブルクがオーストリアに帰属した。
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歴史あるザルツブルク大聖堂と大司教座
おそらくはケルト系の街を土台にして、現在のザルツブルクの街(当時の名前はユリーウム)が建設されたのは古代ローマ帝国時代のこと。イタリアのローマから勢力を拡大してきた古代ローマ帝国は、このあたりまで支配を広げていたわけだ。
その後、西暦798年にはザルツブルク司教座が大司教座に昇格し、ドナウ川流域からアルプス山脈の東麓への布教活動を担うこととなったらしい。(下の画像は現在のザルツブルク大聖堂とレジデンツ広場の噴水。)
といっても、当時の大司教はミサだけを執り行う聖職者というわけじゃない。武装して戦陣に赴く存在でもあったわけだ。例えば、西暦907年にはザルツブルク大司教は、後にハンガリー王国を建国するマジャール人とバイエルン軍との戦いに参加して戦死しているんだ。
独立的なザルツブルク大司教領
それでも、東方へのキリスト教の布教を担っていたザルツブルク大司教座には、神聖ローマ帝国皇帝や諸侯が種々の財産を寄進した。
その結果、ザルツブルク周辺に多くの領地を持つこととなった豊かなザルツブルク大司教座は、独立的な諸侯としての地位を築いていったわけだ。(右の画像は、現在のザルツブルク大聖堂の内部。)
ナポレオンによるドイツ(神聖ローマ帝国)諸侯領再編 ザルツブルクがオーストリアに帰属
神聖ローマ帝国の中で独立的な地位を誇っていたザルツブルク大司教領が、ハプスブルク家の支配するオーストリアに帰属するようになったのは西暦1803年のこと。
中世以来の秩序の破壊者ナポレオンの命によって行われた、神聖ローマ帝国(ドイツ)諸侯領の再編の結果なんだ。その際、ザルツブルク大司教領に限らず、神聖ローマ帝国の中の聖界諸侯領は殆どが取り潰されてしまった。
バイエルン王国とオーストリアとの間で
ところが、ハプスブルク家のオーストリアはナポレオンに対して戦いを挑んでは敗れていた。他方で、ナポレオンによって王国に昇格させてもらったバイエルンはナポレオン側に立っていた。
西暦1809年にもオーストリアはフランス・バイエルン連合軍に敗れ、翌年の西暦1810年に結ばれたパリ条約によってザルツブルクはバイエルン王国領となってしまった。
ところが、御承知の通り、西暦1815年にワーテルローの戦いでウェリントン将軍に敗れたナポレオンは失脚。その翌年の西暦1816年にオーストリアとバイエルンとの間に結ばれたミュンヘン条約によって、ザルツブルクは最終的にオーストリアに帰属することとなったわけだ。
ザルツブルク大聖堂の誇る ヨーロッパ最大のパイプ・オルガン
ところで、もしオーストリアを旅行してザルツブルク大聖堂を訪ねたならば、下の画像にあるパイプ・オルガンを見て欲しいな。600本のパイプを持つヨーロッパ最大のパイプ・オルガンなんだそうな。
ザルツブルク大聖堂には、モーツァルトが洗礼を受けたという洗礼盤もあるよ。モーツァルトはザルツブルクの生まれだからね。
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