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西暦1499年、ハプスブルク家とのバーゼルの和約により、スイス盟約者団が神聖ローマ帝国から事実上の独立を果たした。
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スイス盟約者団とハプスブルク家との戦い
ハプスブルク家との幾度かの戦いに勝ち、八つのカントンに拡大したスイス盟約者団だが、スイスを重要な拠点として成長しようとしていたハプスブルク家もそのまま黙って引き下がっているはずもない。
西暦1379年にはルツェルン近くの所領において支配を強化し、課税を厳しくしている。もちろん、そんなハプスブルク家の動きに対してルツェルンは反発し、やがて両者は軍事的に衝突せざるを得なくなる。
西暦1386年、ハプスブルク家の軍とスイス盟約者団の支援を受けたルツェルンの軍がゼンバハの戦いで激突。結果はハプスブルク家の軍の惨敗だった。レオポルト3世まで戦死してしまったんだ。(右の画像は、ルツェルン旧市街に残るムゼックの城壁。14世紀後半に建てられたもの。)
それから2年後の西暦1388年、ハプスブルク家の軍とスイス盟約者団の軍がネーフェルスの戦いで再び衝突した。その結果はまたもやハプスブルク家の軍の惨敗だった。
明けて西暦1389年、さすがのハプスブルク家もスイス盟約者団と休戦条約を結んだ。その結果、ルツェルンなどの三つのカントンがハプスブルク家の支配から完全に自立することとなったんだ。
更に拡大するスイス盟約者団と 後退するハプスブルク家
その後もスイス盟約者団の支配地は拡大を続けた。西暦1393年にはゾーロトゥロンがスイス盟約者団に参加し、ゼンバハ協定が成立している。
西暦1414年にはスイス盟約者団の軍がハプスブルク家の所領だったアールガウを占領して共同支配地とした。そのアールガウには、「ハプスブルク」という名のもととなった「ハビヒツブルク(鷹の城)」もあったんだ。つまり、ハプスブルク家は一族の故郷とも言える場所をスイス盟約者団に奪われたというわけだ。
チューリヒとスイス盟約者団との対立と克服
西暦1436年、トッケンブルク伯家が断絶。その所領の支配をめぐって、チューリヒとスイス盟約者団との対立が起こった。順調に成長していたスイス盟約者団が内輪もめを始めたというわけだ。(下の画像はチューリヒの絵葉書。)
スイスで孤立したチューリヒは、西暦1442年にハプスブルク家と同盟を結んでいる。そんなチューリヒをスイス盟約者団は攻囲したんだけど、攻略することは出来なかった。
しかし、やがてチューリヒはスイス盟約者団に復帰。スイス盟約者団に対する周囲の評価は結果的に以前に増して高まることとなった。
加えて、ロレーヌ公やアルザス(今はフランス領)と連携してブルゴーニュ公シャルル突進公を戦死させたスイス盟約者団は、軍事的な名声をも獲得することとなった。(その結果、イタリアはローマの教皇庁をも含む各国がスイスとの傭兵契約を求めてくるようになったんだ。)
ハプスブルク家とのシュヴァーベン戦争と スイス盟約者団の事実上の独立
そして西暦1499年1月、ハプスブルク家の軍がスイス盟約者団に対して戦い(シュヴァーベン戦争あるいはスイス人戦争)を仕掛けてきた。ところが、スイス盟約者団が一方的な勝利をおさめたんだ。
その結果、西暦1499年9月にはハプスブルク家とスイス盟約者団との間にバーゼルの和約が成立。スイス盟約者団は神聖ローマ帝国の議会への参加や帝国税の負担を免除され、帝国最高法院の判決に従う義務からも解放された。
つまり、ここにスイス盟約者団は神聖ローマ帝国から事実上の独立を果たしたというわけだ。(正式の独立は西暦1648年のウェストファリア条約によるんだけどね。)
スイス盟約者団の更なる拡大
バーゼル条約によって事実上の独立を勝ち取ったスイス盟約者団には、更に多くのカントンが参加することとなった。まずは西暦1501年に参加したバーゼル。シュヴァーベン戦争の間はバーゼルは中立を保っていたんだけどね。(下の画像はバーゼルの街の様子。ライン川の水運の最南端はバーゼルの街なんだそうな。)
同じ年の夏には、シャウハウゼンが12番目のカントンとしてスイス盟約者団に参加。西暦1513年にはアペンツェルが13番目のカントンとして参加している。この時点でスイス盟約者団(あるいは気が早いけどスイス連邦)は中世ヨーロッパの強国の一つとなりつつあったんだ。
なお、上に掲載したバーゼルの風景なのですが、このサイトの本館「ヨーロッパ三昧」の読者である Kaoringo さんが送ってくれたものなのです。御本人の御了解を得て掲載させていただきました。Kaoringo さんに感謝 !!
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