イタリア・ルネサンスの画家ボッティチェッリの「春」イタリア・ルネサンスを代表する画家ボッティチェッリが名画「春(あるいはプリマヴェーラ)」を描いたのは、西暦1477年頃 ・・・ のことだった ・・・ らしい。ずいぶん歯切れの悪い表現をしてしまったけど、この作品の制作年について資料によって異なっているんだ。西暦1477年とするものもあれば、いや西暦1478年、いやいや西暦1482年頃とする資料もある。いずれにせよ、メディチ家の統治下にあったイタリアの古都フィレンツェを中心にルネサンスが大きく花開いていた時代のボッティチェッリの代表作だよね。ちなみに、この名画「春(プリマヴェーラ)」(下の画像はその一部)はフィレンツェにあるメディチ家ゆかりのウフィツィ美術館で見ることができる。
この名画の主役は、言うまでもなくヴィーナス(上の画像の中央やや右に描かれている)だね。対して、右端で嫌がる女性を抱きかかえようとしているのは西風の神ゼピュロスなんだそうな。この西風の神が春を招くらしい。ボッティチェッリは青白い寒々とした様子に描いているけどね。
画家ボッティチェッリとフィリッポ・リッピイタリア・ルネサンスを代表する画家ボッティチェッリなんだけど、西暦1445年頃にフィレンツェで生まれたらしい。父親は皮革職人だった。やがてボッティチェッリは中期ルネサンスを代表する画家フィリッポ・リッピの工房で修行をしている。
若い頃のボッティチェッリの作品には、フィリッポ・リッピの影響が強く表れているらしい。上の画像はウフィツィ美術館で見ることの出来るフィリッポ・リッピの名画「聖母子と天使」なんだけど、その影響はボッティチェッリが20歳頃に描いた「聖母子と天使」に明らかに見て取れるんだそうな。
画家ボッティチェッリとメディチ家ボッティチェッリが自分の工房を立ち上げる前年には、ロレンツォ(イル・マニフィコ)がメディチ家の当主となっていた。フィレンツェを統治し、ルネサンスの支援者でもあったロレンツォ・デ・メディチは、画家ボッティチェッリの保護者でもあったそうな。そんな最盛期ルネサンスの中心地フィレンツェで活躍していた画家ボッティチェッリが西暦1485年(西暦1483年との説もある)に描いたのが、「ヴィーナス誕生」(下の画像はその部分)だった。地中海東部の島キプロスの海でヴィーナス(アフロディテ)が生まれるところを描いている。
ところで、上の画像の左端に描かれているのは西風の神ゼピュロスなんだ。このゼピュロスが巻き起こす西風が、海で生まれたヴィーナス(アフロディテ)をキプロスの島まで運んで行ったんだそうな。
ボッティチェッリの名画のあるウフィツィ美術館このページに掲げたボッティチェッリの名画2点、そして師匠のフィリッポ・リッピの作品のいずれもフィレンツェのウフィツィ美術館で見ることが出来る。そのウフィツィ美術館が人気の観光名所なんだ。というわけで、その中に入る観光客の行列が下の画像。
このウフィツィ美術館の行列に並んで1時間や2時間は当たり前。下手をすれば数時間も待つこともあるらしい。というわけで、フィレンツェでウフィツィ美術館に入るならば、事前にウェブで予約をするのが賢明みたい。あるいは旅行業者さんに事前の予約をお願いすべきかも。
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