サヴォワ公家がニースを獲得西暦1388年、今のフランス南部コート・ダジュールにある街ニースをサヴォワ公家が獲得した。それから19世紀に至るまでサヴォワ公家は「概ね」ニースを保っていた。(下の画像はニースのサレヤ広場の食べ物市とサヴォワ公家宮殿の様子。)
このサヴォワ公家なんだけど、11世紀初頭に神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ2世に従っていたウンベルト1世ビアンカマーノが、西暦1003年に初代サヴォワ伯とされたところから成長してきたんだ。
ニース近くのエズにも城砦を築いたサヴォワ公家ニースの街を獲得した時、同時にサヴォワ家は岩山の上の鷲の巣村エズをも手に入れている。(下の画像は、そのエズ村の路地の様子。)
サヴォワ公家は、この岩山の上のエズ村にも城砦を築き、防衛体制を固めている。というのも、神聖ローマ帝国皇帝との関係の深いサヴォワ公家はフランス王と敵対することが多かった上に、イタリアのピサやジェノヴァとの関係も複雑だったんだ。例えば、ニースは元々はピザと同盟していたんだけど、他方で近くのモナコ公国はジェノヴァとの関係が深かったとかね。 ナポリまでも獲得したサルディニア王家その後もサヴォワ公家は多くの場合はフランス王と対立してきた。そしてフランスの首都パリの近郊にヴェルサイユ宮殿を造営したルイ14世太陽王とは何度も戦い、エズ村やニースも攻撃を受けている。そして西暦1701年から始まったスペイン継承戦争ではエズ村やニースをフランス軍に占領されてしまった。でも、スペイン継承戦争での奮戦の結果として、西暦1713年に結ばれたユトレヒト条約では、ニースやエズの返還を受けたのみならず、シシリア王位をも獲得した。西暦1720年にはそのシシリア王位との交換によってサルディニア王となった。西暦1003年にサヴォワ伯となってから700年あまりでサルディニア王となったわけだ。 19世紀、長く小国に分裂してきたイタリアで統一の動きが活発になっていた。そんな中でフランス皇帝ナポレオン3世の支援を得て、西暦1859年にイタリアに大きな勢力を持つハプスブルク家と戦ったんだ。その結果、敗れたハプスブルク家からサルディニア王家はミラノなどのロンバルディア地方やフィレンツェなどのトスカナ地方を獲得することができた。(見返りにニースなどをフランスに割譲したけど ・・・ 。)
更には、ニースで生まれ育ったジュゼッペ・ガリバルディは、ハプスブルク家との戦いにおいて義勇兵を率いて活躍したのみならず、西暦1860年にはシシリアとナポリを征服し、それをサルディニア王に献上したんだ。(上の画像はイタリア南部ナポリの王宮前にあるプレビシート広場の風景。)
サルディニア王が統一イタリア王国初代国王にそんなこんなでニースなどは失ったけれども、サルディニア王家はイタリアの大部分を支配化に入れたわけだ。ハプスブルク家の支配下にあるヴェネツィアと教皇の足許のローマは残されている。でも、西暦1861年に統一イタリア王国が成立し、サルディニア王が新しいイタリア王となったんだ。
そして上の画像はサルディニア王からイタリア王国初代国王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像。ローマのヴェネツィア広場を見下ろしているんだ。(ちなみに、統一イタリア王国がローマを占領・併合したのは、西暦1870年のことだった。)
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