フィレンツェ中央駅から眺めたサンタ・マリア・ノヴェッラ駅イタリアの古都フィレンツェには空港が無い。というわけで、ローマなどの空港に着陸したら、鉄道を利用してフィレンツェに向かうんだろうな。貸し切りバスを利用するツアーの場合は別だろうけどね。
鉄道でフィレンツェに入るならば、おそらくはフィレンツェ中央駅(正しくはサンタ・マリア・ノヴェッラ駅)に到着するだろうけど、その駅から眺めたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の様子が下の画像なんだ。(バスがちょいと邪魔なんだけど。)
このサンタ・マリア・ノヴェッラ教会なんだけど、西暦1246年に建設が始まり、西暦1360年に一応の完成を見たというフィレンツェでも歴史ある教会なんだそうな。但し、一応の完成を見たとはいえ、更に工事は続いていたんだけどね。
歴史あるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会実を言えば、上の画像に見えているのは、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面じゃない。下の画像が教会の正面なんだ。ところで、西暦1360年に一応の完成を見たと書いたけど、この正面ファサードの工事が終わったのは、西暦1470年のことだった。そういうわけで、西暦1360年の完成というのは、「一応」にすぎなかったわけだね。
そんなサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の中にビザンティン帝国の皇帝やコンスタンティノープルの総主教、そしてローマ教皇エウゲニウス4世など東西の教会から多くの聖職者たちが集まったことがある。西暦1439年から西暦1443年にかけて東西両教会の統一をめぐる公会議が開催されたんだ。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にある名家の礼拝堂サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の中には、フィレンツェの名家の為の礼拝堂がいくつもある。例えば下の画像は、ストロッツィ家(メディチ家と時に対立し、時に協力した名家)の礼拝堂の様子なんだけど、ナルド・ディ・チオーネによるフレスコ画「最後の審判」(西暦1357年頃)があるんだ。
また、ここに画像はないんだけど、教会の中にはスパニョーリ礼拝堂(スペイン人の礼拝堂)もある。というのも、西暦1537年にフィレンツェ大公(後にトスカナ大公)となったメディチ家のコシモ1世の奥方であるエレオノーラ・ディ・トレドは、当時のナポリを支配していたスペインの宮廷から来たスペイン人だった。その奥方の為にコシモ1世が贈ったのがこの礼拝堂だった。故にスペイン人の礼拝堂というわけだ。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の芸術作品イタリア・ルネサンスの中心だったフィレンツェにある歴史あるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会では、多くの芸術作品を見ることも出来る。例えば、下の画像はゴンデ家の礼拝堂にあるものなんだけど、ブルネレスキによる「十字架のキリスト像」(西暦1425年頃)なんだ。
ブルネレスキといえば、後に建築家としてフィレンツェのドゥオモ(大聖堂)の完成に大きく貢献した人物だよね。そんなブルネレスキのこの作品を見て、彫刻家ドナテッロが「これぞキリストだ」と絶賛したんだそうな。
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