ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1345年、フランスの首都パリのシテ島に、ノートルダム大聖堂が完成した。


フランスの首都パリを流れるセーヌ川とシテ島

古代ケルト系パリシイ族の人々は、今のフランスの首都パリを流れるセーヌ川に浮かぶシテ島に住んでいたらしい。その後、紀元前52年にパリ(当時の名前はルテティア)を征服した古代ローマ帝国の人々も、シテ島に住み着いたらしい。つまりは、シテ島こそがパリの発祥の地であり中心だということなんだろうね。

フランスの首都パリを流れるセーヌ川、シテ島、ノートルダム大聖堂

そんなセーヌ川に浮かぶシテ島にサンテティエンヌ大聖堂が築かれたのは10世紀のことだった。(上の画像は現在のセーヌ川、シテ島、そしてノートルダム大聖堂。)

ゴシック様式のノートルダム大聖堂

そして西暦1160年、パリ司教モーリス・ド・シュリーはパリの大聖堂の重要な意義に比べて古い大聖堂では不十分だと考え、新しい大聖堂を建てるべきだと考えたらしい。そして西暦1163年に今のノートルダム大聖堂の建設が始まった。

フランスの首都パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂

まさにその頃、パリ郊外にあるサン・ドニ大聖堂も建て替えられようとしていた。そのサン・ドニ大聖堂はロマネスク様式からゴシック様式への先駆となったらしい。そしてパリのノートルダム大聖堂は典型的なゴシック様式の建物となり、西暦1345年に完成したんだそうな。(シャルトル・ブルーのステンドグラスで名高いシャルトル大聖堂も名高いゴシック建築だね。)

歴史の舞台となったパリのノートルダム大聖堂

その後のノートルダム大聖堂は興味深い歴史の舞台となっている。例えば百年戦争の時代にはイングランド王ヘンリー6世はここでフランス王として戴冠している。(後にヘンリー6世はロンドンにあるロンドン塔に幽閉されて亡くなったけど。)

フランスの首都パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂の内部

西暦1558年にはスコットランド女王メアリー・スチュアートがフランス王アンリ2世の息子のフランソワ(後のフランス王フランソワ2世)と結婚している。(やがてフランソワ2世は亡くなり、未亡人となった彼女はスコットランドに戻ったんだけど ・・・ 。)

西暦1572年にはブルボン家のアンリ(後のフランス王アンリ4世)がここで王女マルグリットと結婚している。(その直後にサン・バルテルミーの虐殺が起こった。ついでながら、アンリ4世は後にサン・ドニ大聖堂でカトリックに改宗し、西暦1594年にシャルトル大聖堂で戴冠式を行っている。)

そして西暦1804年のフランス皇帝ナポレオンの戴冠式もこのパリのノートルダム大聖堂で挙行されたんだ。

フランス革命とノートルダム大聖堂

そのナポレオンの戴冠式の前のことなんだけど、フランス革命の際にはこのノートルダム大聖堂も荒らされたんだそうな。彫像なども破壊され、あるいは捨てられたらしい。そして大聖堂は食糧貯蔵庫とされていた時期もあるんだそうな。そんな破壊に対する修復が行われたのは19世紀のことなんだそうな。

フランスの首都パリのシテ島にあるノートルダム大聖堂にあるサン・ドニ像

上の画像は今のノートルダム大聖堂で見ることの出来る彫像なんだけど、右から二番目に描かれている人物は、フランスの守護聖人となった殉教者サン・ドニ(聖ドニ)だね。3世紀にパリのモンマルトルの丘で処刑され、自分の首を拾い上げてパリ郊外にある今のサン・ドニ大聖堂の場所まで歩いたと伝えられているね。

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