フィレンツェのヴェッキオ橋の上に並ぶ貴金属店19世紀に成立した統一イタリア王国の首都ともなったことのある古都フィレンツェに、下の画像の風景の通りがある。見ての通り、左右には貴金属店が並んでいるんだ。
見たところフィレンツェ市街地の中の通りみたいでしょ。ところが、この風景はフィレンツェを流れるアルノ川にかけられたヴェッキオ橋の上の様子だったりするんだ。とても橋の上には見えないけどね。
アルノ川の洪水と再建されたヴェッキオ橋フィレンツェを流れるアルノ川(下の画像)には、古代ローマ帝国時代に橋がかけられたんだそうな。その場所が今のヴェッキオ橋のあるあたりらしい。フィレンツェ周辺では最も川幅が狭い場所なんだそうな。
でも、アルノ川は過去に何度も氾濫し、橋は何度も流されている。10世紀末の文書に記録されているヴェッキオ橋は西暦1117年の洪水で流されたそうな。その次にかけられた橋は西暦1333年に流されたという。
ところで、その後もアルノ川は何度も氾濫を起こしている。特に西暦1966年に起きたフィレンツェの大洪水では、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の緑の回廊のフレスコ画やサンタ・クローチェ教会にあるチマブーエの「十字架のキリスト像」などがひどい損傷を受けたんだそうな。
戦争を生き延びたヴェッキオ橋時は流れ、第二次世界大戦真っ最中の西暦1943年、イタリア南部のサレルノ・パエストゥムあたりに上陸した連合国軍はナポリを落とし、更に翌年にはローマをも占領して北上していた。後退するドイツ軍は、連合国軍の北上を阻む為、アルノ川にかかる橋を爆破していった。もちろん、ヴェッキオ橋も破壊されようとしていた。でも、イタリアの古都フィレンツェに残る中世の橋の文化的・歴史的価値を説かれたドイツ軍の司令官は、ヴェッキオ橋を爆破することなく、フィレンツェから撤退していったらしい。
そのおかけでフィレンツェに残る最古の橋でもあるヴェッキオ橋を現代の私たちも渡ることができるわけだね。(上の画像は橋のすぐ近くにあるホテルの屋上から眺めたヴェッキオ橋の様子。)
メディチ家ゆかりのピッティ宮殿・ボボリ庭園とヴェッキオ橋中世以来、フィレンツェの中心たる大聖堂(ドゥオモ)などの主要施設はアルノ川の北側にあった。ところが、西暦1537年にフィレンツェ大公となったメディチ家のコシモ1世(後にトスカナ大公)は、奥方の為にアルノ川の南側にあるピッティ宮殿を買い取って移り住んだそうな。その結果、彼はアルノ川の南側から北側に通勤することになった。しかし、政敵による暗殺を心配していた彼は、ヴェッキオ橋に立ち並ぶ店の上にヴァザーリの回廊を作らせた。その回廊を歩けば、安全にアルノ川の南北を往来することができるというわけだね。
上の画像はアルノ川の北側、ヴェッキオ橋のたもとにあるホテルの屋上からの眺めなんだけど、アルノ川の南岸にあるピッティ宮殿の裏のボボリ庭園のカフェ(青い矢印の先)が見えている。あのカフェの2階テラスの席から眺めるフィレンツェの風景が素晴らしいんだ。フィレンツェに行ったならば、大公や大公妃が歩いたボボリ庭園を散策し、あのカフェでランチにすると良いね。冷えたワインを飲んで休憩するのもお勧めだな。
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