コーンウォールはイギリスの西の地の果てイギリスの南西部にコーンウォールという土地がある。そのコーンウォールには、ランズ・エンドというイギリス人に人気の観光地があるんだ。
上の画像は、そのランズ・エンドの風景なんだけど、「ランズ・エンド」とはつまり「地の果て」。このランズ・エンドを含むコーンウォールはイギリスの最西端というわけだ。(ついでながら、ユーラシア大陸の最西端はポルトガルのロカ岬。)
コーンウォール周辺はアーサー王伝説の宝庫他方で、このコーンウォールや隣のデヴォンあたりには、アーサー王にまつわる伝説やゆかりの場所が多く残されている。
例えば、上の画像はティンタジェル城跡。アーサー王はこの城で生まれ、捨てられ、城の下にあるマーリンの洞窟で魔法使いマーリンに拾われて育てられた ・・・ というのがアーサー王伝説の一つだったりする。
コーンウォールはケルト人の土地このページのキーワードがもう一つある。それがケルトだね。ケルト人と言えば、イギリスの中でも、スコットランドとかウェールズが頭に浮かぶよね。でも、このコーンウォールも歴史的にケルト人の土地だった。イギリス(ブリテン島)の地の果てにあるコーンウォールでは、例えばペヴェンシーなどでケルト人を虐殺したようなアングロ・サクソン人の進出も遅く、ケルト人の勢力が生き残っていたんだ。そんなケルト人のリーダーがアーサー王だったかもしれないよね。 そんなケルト人たちは、少なくとも中世のイングランド王に必ずしも臣従してはいなかった。故にイングランド王エドワード1世がウェールズにカーナフォン城を築いたり、息子をプリンス・オブ・ウェールズ(イギリス皇太子あるいはウェールズ大公)に叙任したりしたわけだ。 ちなみに、今でもコーンウォールには独特のコーンウォール語を話す人々が少数ながらいるんだそうな。そのコーンウォール語は、同じケルト系のウェールズ語などと近いらしい。(ついでながら、隣のアイルランドもケルト人の国だよね。)
イギリス皇太子がコーンウォール公そんなケルト系の人々の伝説的な英雄アーサー王は、コーンウォール公ゴルロイスの妻を母として生まれたらしい。しかし、実はアーサー王の父はブリテン(イギリス)王だった。故にやがてアーサー王はブリテン(イギリス)の王となった。・・・というのが、アーサー王の物語なんだ。西暦1336年に初代コーンウォール公となったエドワード黒太子は、西暦1343年にプリンス・オブ・ウェールズ(イギリス皇太子)となり、伝説のアーサー王と同様に、やがては王位を継承するはずだった。その際にはケルト人の臣従も期待したんだろうな。でも、病に倒れたエドワード黒太子は王にならずして亡くなったんだ。 そしてエドワード黒太子の息子リチャードが西暦1376年にプリンス・オブ・ウェールズにして第2代コーンウォール公となった。やがて西暦1377年に祖父のエドワード3世が亡くなり、イングランド王リチャード2世が即位する。(但し、シェイクスピアが描いたように、リチャード2世はロンドン塔に幽閉され、悲劇の主人公になってしまうんだけど。) ちなみに、今の第26代コーンウォール公はチャールズ皇太子なんだ。チャールズ王子がプリンス・オブ・ウェールズに叙任されたのは西暦1969年なんだけど、彼は西暦1952年(母であるエリザベス2世がイギリス王となった年)にコーンウォール公となっている。イギリス王の継承者がプリンス・オブ・ウェールズにしてコーンウォール公となる伝統は、今も続いているらしい。 余談ながら、チャールズ皇太子と再婚したカミラ夫人は、皇太子妃と名乗らず、コーンウォール公妃と名乗っているんだそうな。亡くなったダイアナ元皇太子妃に遠慮しているとか ・・・。
デヴォンにもコーンウォール公の領地コーンウォール公という称号ではあるけれども、その領地はデヴォンにもあるらしい。
上の画像は、デヴォンにあるダートムーアの風景なんだけど、荒涼の中にヒースの花が咲き誇っていたよ。(このダートムーアは、アガサ・クリスティの小説「ミス・マープル」の舞台なんだそうな。私はアガサ・クリスティを読んだことがないけど。)
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