5歳で即位したスコットランド王デヴィッド2世西暦1329年、スコットランドの古都スクーンで5歳のスコットランド王デヴィッド2世が即位した。
上の画像は、スクーン・パレスの敷地にあるスコットランド王の即位にゆかりのスクーン・ストーンのレプリカ。実物はイングランド王エドワード1世によってロンドンのウェストミンスター寺院に持ち去られたけど。(後にスコットランドに返還された。)
フランスのガイヤール城に保護されたスコットランド王デヴィッド2世他方でイングランドはスコットランドに干渉を続けていた。イングランドの傀儡となっているエドワード・ベイリアルは、イングランド軍に支援されてスコットランドに侵攻していたんだ。その危険を避ける為に幼いスコットランド王デヴィッド2世は昔からの同盟国であるフランスに送られた。フランス王フィリップ6世は、幼いスコットランド王デヴィッド2世をノルマンディーにある要衝ガイヤール城(イングランド王リチャード獅子心王が築いた)に保護している。
上の画像がセーヌ川のほとりの街レザンドリの上にそびえるガイヤール城の様子なんだけど、フランスの首都パリからも列車で日帰りで行くことができるんだ。(ちなみに、睡蓮の池も残る画家クロード・モネの家も近い。)
ロンドン塔に捕われたスコットランド王デヴィッド2世西暦1341年、17歳になったスコットランド王デヴィッド2世は、自分の王国であるスコットランドに帰国した。西暦1346年、イングランドと戦うフランスの同盟国として、スコットランド王デヴィッド2世はイングランドに侵攻。しかし、戦いに敗れて捕われたスコットランド王デヴィッド2世は、敵国の首都ロンドンのテムズ川のほとりのロンドン塔(下の画像)に幽閉されてしまった。
その後のデヴィッド2世は、ウィンザー城などを転々としている。そしてイングランドに11年間も捕われていたんだ。
エディンバラ城で亡くなったスコットランド王デヴィッド2世西暦1357年、スコットランドとイングランドとの交渉が成立し、スコットランドがイングランドに身代金を支払うことを約して、デヴィッド2世は自国に戻ることを許された。
西暦1371年、スコットランド王デヴィッド2世がエディンバラ城(上の画像)で亡くなった。幼い頃からフランスやイングランドで過ごすことを余儀なくされた王としては、自国の首都の城で亡くなったのは幸いだったかな。
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