ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1204年、アイルランドでダブリン城の築城が始まった。


イングランド王の命令によるダブリン城の築城

イングランドのノルマン系貴族たちがアイルランドに入り込んで来たのが西暦1167年のこと。そして西暦1171年にはイングランド王ヘンリー2世までもがアイルランドに上陸している。その後、リチャード獅子心王を経て、イングランドの王位を受け継いだジョン失地王の命により、ダブリン城の築城が始まったのが西暦1204年のことだった。

アイルランドのダブリン城のレコード・タワー

そんなダブリン城が一応の完成を見せたのが西暦1230年頃だった。但し、残念ながら当時の建物の殆どは現存していない。例外的に上の画像にあるレコード・タワーのみが西暦1228年から姿を変えていないそうな。

ついでなんだけど、ジョン失地王がダブリン城の築城を命じた西暦1204年には、フランス北部にあるガイヤール城フランス王フィリップ2世に奪われている。ガイヤール城はジョン失地王の兄のリチャード獅子心王がノルマンディー地方を防衛する為に築いた要衝だった。その後、ジョン失地王はフランス北部の領地の殆どをフランス軍に奪われてしまった。

ヴァイキングによる砦の構築

上に書いたように、ダブリンにおける本格的な城砦の築城はイングランドによって行われた。でも、それまでにダブリンに砦は構築されていた。

アイルランドの首都ダブリンを流れるリフィ川

ここに砦を築いたのは、ノルウェーを出てアイルランドに侵攻してきたヴァイキングだった。彼らはリフィ川を遡り、その川岸にあるダブリンに居留地を作り、そこに砦を築いたらしい。9世紀半ばのことだった。

イングランドによるアイルランド統治の中心となったダブリン城

その後、更に勢いを増したヴァイキングの侵攻だったけれども、結局のところはアイルランド全土を征服するには至らず、むしろ11世紀に入ると勢力を弱めていった。その後に入ってきたのがイングランドの王たちだった。彼らによって本格的な城砦として築かれたダブリン城にはイングランドの総督が入り、アイルランド統治の中心となったんだ。

アイルランドのダブリン城のベッドフォード・タワー

イングランドによるアイルランド統治の中心となっていたダブリン城なんだけど、特に17世紀後半には幾度かの火災が起こり、古い建物の多くが取り壊され、いくつもの新しい建物が築かれている。例えば上の画像にあるベッドフォード・タワーは西暦1761年の建物なんだそうな。

ダブリン城に残るイギリス王の玉座

ジョン失地王から歴代のイングランド王が継承したのは、「アイルランド卿」という称号だった。でも、名高いイングランド王ヘンリー8世は西暦1541年に「アイルランド王」を称し、その称号は彼の後継者たちによって引き継がれている。

その後もアイルランドにおいてイングランドによる統治に対する反乱も起きている。清教徒革命の際にはクロムウェルによる侵攻があった。加えて、名誉革命によってロンドンを追われたジェームズ2世フランス王ルイ14世の支援を得てアイルランドで王位奪還の戦いを起こしてもいる。でも、むしろそんな混乱の乗り越えることでイングランドのアイルランド統治は強化されていったみたいだね。

アイルランドのダブリン城にあるイギリス王ジョージ4世の玉座

更には西暦1798年に起きたユナイテッド・アイリッシュメンによる反乱の鎮圧後には、連合法が成立。アイルランドはイギリスに統合されてしまったんだ。そして西暦1821年、アイルランドを含むイギリス連合王国の王ジョージ4世がダブリン城を訪れた。上の画像はダブリン城に残るジョージ4世の玉座なんだ。アイルランド自由国が成立するのは、それから100年後の西暦1922年のことだった。

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