ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦1135年、イタリア南部の街アマルフィがピサによって略奪された。


イタリアの海洋都市国家の先駆 アマルフィ

中世から近世にかけてのイタリアの海洋都市国家といえば、頭に浮かぶのはヴェネツィアでありジェノヴァだろうか。でも、そんなイタリアの海洋都市国家の先駆的な存在として忘れちゃいけないのが、アマルフィだね。

海から眺めたアマルフィの街(イタリア)

上の画像はそんなイタリア南部の街アマルフィを海から眺めた様子。エメラルドの洞窟に向かう小舟からの眺めなんだ。(ついでながら、船に乗らなくても、港の突堤の先まで歩けば、海の上のアマルフィの街の眺めを楽しむことも出来るよ。)

ノルマン人の支配下に入ったアマルフィ

ロンバルド族のベネヴェント公の支配下にあったアマルフィは独立を獲得した。西暦839年のこと。それからのアマルフィは中世イタリアを代表する海洋都市国家として発展したわけだ。

アマルフィが独立を獲得した9世紀にフランスの首都パリポルトガルの首都リスボンなどを襲ったヴァイキングの子孫であるノルマン人は、やがてイタリア南部で勢力を拡大していった。

イタリア南部の街アマルフィの近くに残るノルマンの城砦跡

西暦1075年にはアマルフィもノルマン人に従属することになってしまった。その後のアマルフィはノルマン人に対して何度も反乱を起こしたけれども、独立を回復することは出来なかった。(上の画像はノルマン人がアマルフィ周辺に残した城砦跡の一つ。)

ピサの略奪を受けたアマルフィ

イタリア南部を支配したノルマン人の指導者にして初代シシリア王となったのがルッジェーロ2世だった。そのルッジェーロ2世が激しく対立したのが、神聖ローマ帝国皇帝ロタール3世だった。

イタリアの街ピサの大聖堂と斜塔

神聖ローマ帝国軍はイタリア南部に何度も侵攻してきたんだけど、その侵攻に参加していたのが海洋都市国家アマルフィのライバルとなっていたピサだった。(上の画像はピサのドゥオモ広場の様子なんだけど、ピサの斜塔大聖堂が見えているね。)

そんな状況下で、西暦1135年にアマルフィの街はピサ艦隊によって略奪されたんだそうな。その2年後にもアマルフィはピサによる略奪を受けている。こうして中世イタリアを代表する海洋都市国家アマルフィの衰退が始まったというわけだ。

イタリア南部を代表する観光地 アマルフィ

やがて地中海貿易による繁栄を失ったアマルフィなんだけど、その街を歩けば今でも歴史の名残りを見ることが出来る。

イタリア南部の街アマルフィの大聖堂と鐘塔

その代表的な例が上の画像にあるアマルフィ大聖堂かな。元々はロマネスク様式で建てられたものなんだけど、アラブ・ノルマン的な装飾も見ることが出来るよね。大聖堂の脇にある天国の回廊もそうだけどね。

そんなアマルフィの街は、イタリア南部でははずせない観光地の一つになっているね。ついでながら味覚も楽しませてくれる街でもある。

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