フランスの首都パリ郊外のサン・ドニ大聖堂とバラ窓ヨーロッパの大聖堂といえば、頭に浮かぶのは鮮やかな色彩のステンド・グラス、それもバラ窓のステンド・グラスかな。
上の画像はフランスの首都パリの郊外にあるサン・ドニ大聖堂のバラ窓のステンド・グラスなんだけど、このサン・ドニ大聖堂はロマネスク様式からゴシック様式への移行の先駆的な建物なんだそうな。
修道院長シュジェールによるサン・ドニ大聖堂建設パリが古代ローマ帝国の支配下にあった3世紀のことなんだけど、伝道者サン・ドニ(聖ドニ)がパリの北にあるモンマルトルの丘で処刑された。首を斬られたサン・ドニは、自分の首を拾い上げ、10kmほど歩いて倒れた。そこにサン・ドニの墓が建てられた。やがてその場所にはサン・ドニ修道院が建てられた。更に、サン・ドニ修道院には教会が寄進された。そして西暦1135年、修道院長シュジェールが、サン・ドニ修道院に付属する教会の拡張と建て直しを始めた。それが今に残るサン・ドニ大聖堂(下の画像)の建設の始まりだった。
建て直しは既存の建物の西側の正面ファサードから始められた。その西側ファサードには、イングランド征服王ウィリアム1世が創設したカーンの男子修道院の影響が見えるらしい。
修道院長クレマンによるサン・ドニ大聖堂改築それから90年程が経った西暦1231年、修道院長クレマンによってサン・ドニ大聖堂の建物の中央部分(西側と東側の建て直し工事の残りの部分)の改築が始められた。その工事が完成したのが西暦1261年。こうしてレイヨナン様式(13世紀から14世紀のフランスに特徴的なゴシック)のサン・ドニ大聖堂が完成したらしい。
こうして完成したゴシック様式のサン・ドニ大聖堂は、パリのノートルダム大聖堂やシャルトル・ブルーのステンド・グラスで名高いシャルトル大聖堂などの建設にも影響を与えたらしい。更には、イギリスなどの聖堂建築も影響を受けているんだそうな。
サン・ドニ大聖堂にはフランス王家の墓所もあるパリ郊外のサン・ドニ大聖堂の中には、フランス王家の墓所もあるんだ。歴代のフランス王たちの殆どは、このサン・ドニ大聖堂に葬られたらしい。但し、フランス革命の際にはサン・ドニ大聖堂のフランス王家の墓所も荒らされたらしい。
しかし、フランス皇帝ナポレオンが退位してルイ18世によるブルボン王政が復活した後、フランス王家の墓所も復旧され、革命の際に処刑されたフランス王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットもこのサン・ドニ大聖堂に葬られたんだそうな。(上の画像はサン・ドニ大聖堂にあるルイ16世とマリー・アントワネットの像。)
ついでながら、スペイン南部アンダルシア地方の古都グラナダ(世界遺産アルハンブラ宮殿で名高い街)には大聖堂の脇に王室礼拝堂がある。ハプスブルク家のスペイン王カルロス1世(皇帝カール5世)が完成させたものなんだけど、彼はその王室礼拝堂をスペイン王家の墓所としたかったらしい。ベルギーで生まれ育った彼は、パリが大好きで、子供の頃には何度もパリに来ていたらしいから、彼の念頭にはパリ近郊のサン・ドニ大聖堂があったのかもしれないね。
かなり危ないサン・ドニ地区ところで、西暦2015年11月に起こったパリ同時多発テロは今もフランス、いやヨーロッパに大きな傷跡を残しているよね。その主犯格とされた人物が潜伏していたのが、この大聖堂のあるサン・ドニ地区だった。観光客も多い大聖堂から脇道の路地に入れば、アラブ系やアフリカ系の人々が多いんだそうな。そんなアラブ系・アフリカ系の人々が多いからとは言えないけど、残念ながら今のサン・ドニ地区には不法移民が多く隠れ住み、犯罪も多発しているらしい。 そんなサン・ドニ地区には警察官もあまり入り込まないという話もある。フランス王家の墓所もあり、歴史もある大聖堂には入ってみたいよね。でも、もしその大聖堂を見に行くならば、十二分に注意して歩かなきゃね。
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