ヨーロッパの歴史風景 中世編




西暦839年、中世イタリアの街アマルフィが独立を宣言し、海洋都市国家として発展を始めた。


イタリア南部カンパーニャ地方の街アマルフィ

このページの主役は中世イタリアの街アマルフィなんだ。とはいえ、その街がどこにあるのか、頭に浮かぶ人は少ないかも。

イタリア南部カンパーニャ地方の街アマルフィ周辺の略図

というわけで、まずは上の略図を見てくれるかな。イタリア南部の中心都市ナポリは上の略図の左上に見えている。そのナポリから東南に 47kmのところにアマルフィが位置している。

ついでながら、アマルフィから 15kmほど東にあるサレルノノルマン人ロベール・ギスカールゆかりの歴史ある街だし、その南にあるパエストゥム遺跡は古代ギリシャ時代の神殿がいくつも残る世界遺産なんだ。

山が海に迫るアマルフィ海岸

そんなアマルフィの街の周辺の海辺はアマルフィ海岸と呼ばれているんだけど、下の画像を見ればわかるように山が海に迫る険しい地形の土地なんだ。つまり、普通に耕作をして暮らしていける環境ではないわけだ。

イタリア南部カンパーニャ地方にあるアマルフィ海岸の険しい地形

では、アマルフィ海岸の人々はどうやって暮らしていたのか。彼らは海に生きたわけだ。まずは小舟で海に出て魚を獲る。次第に大きな船を作り、地中海の沖合いに向けて漕ぎ出す。そうしてアマルフィの人々は商業・貿易の街を築き上げていったわけだ。

アマルフィの独立宣言と海洋都市国家としての発展

海に生きるアマルフィの人々も、陸上世界の動きと無縁でいられるわけじゃない。西暦476年の西ローマ帝国の崩壊後はビザンティン帝国の支配下にあったアマルフィなんだけど、8世紀から9世紀にかけてはゲルマン系ロンバルド族の攻撃に苦しんでいた。

そして西暦838年、内部の裏切りにより、ついにアマルフィの街はロンバルド族の手に落ちてしまった。でも、アマルフィ市民たちは黙ってロンバルド族に従属してはいなかった。兵士たちを再編成し、ロンバルド族が拠点にしていたイタリア南部の街サレルノの街を攻撃し、そこに捕らえられていたアマルフィ市民たちを奪い返したんだ。

そして西暦839年9月1日、アマルフィの街は独立を宣言した。その後のアマルフィは中世イタリアを代表する海洋都市国家として発展していったわけだ。(下の画像は現在のアマルフィを海から眺めた風景。観光客でにぎわうアマルフィ大聖堂も見えている。)

イタリア南部カンパーニャ地方にある街アマルフィを海から眺めた

繁栄したアマルフィの商人たちはオリエントにも進出し、その地に病院を設立している。その病院組織は十字軍時代に聖ヨハネ騎士団の母体となったんだ。やがて聖ヨハネ騎士団はロードス島やマルタ島でオスマン・トルコ軍と戦うことになる。(今の聖ヨハネ騎士団の本部はイタリアの首都ローマスペイン階段からも近いコンドッティ通りにあるけどね。)

アマルフィのシーフードは美味かった

土地には恵まれていないアマルフィなんだけど、料理は美味かったね。ミシュラン一つ星レストランヨット・ハーバーのレストランで食事をしたんだけど、特にシーフードは美味い。

イタリア南部カンパーニャ地方にある街アマルフィのヨット・ハーバーの前にあるレストランで食べたイワシとモツァレラ・チーズのフライ

例えば上の画像はイワシのフライなんだけど、中にはモツァレラ・チーズが挟んである。これがきりっと冷えた白ワインに合う。特にイタリアのカンパーニャ地方のドライな白ワインにぴったりだね。

そんなこんなでイタリア南部にあるアマルフィは、歴史を訪ねて歩いても良いし、美味しく飲んで食べるも良い。そんな素敵な街だったよ。

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