ギザの大ピラミッドを残したクフ王観光の為にエジプトへ行こうという人にとって最大の目玉はピラミッドだよね、おそらくは。そのピラミッドといえばカイロからも近いギザなんだけど、ギザのピラミッド群の中でも最大のものを残したのが、紀元前2589年に即位した王(ファラオ)クフなんだ。そのクフ王のピラミッドが下の画像だ。
クフ王は古代エジプトの第4王朝の第2代の王とされる。第4王朝の初代であるスネフェル王が父(あるいは養父)とされている。そのスネフェル王は第3王朝の最後の王フニの庶子だったとする資料もあれば、フニの娘婿だったとする資料もある。いずれにせよ、スネフェル王が新たな王朝を創始することができたおかげでクフが王となり、そのおかげで私たちはギザに彼の大ピラミッドを見ることが出来るわけだ。
二百数十万個もの石材を積み上げたクフ王のピラミッド完成時のクフ王のピラミッドは、白い石灰石を磨き上げて作られた化粧石に覆われていたらしい。が、14世紀に起こった地震によって化粧石のタガが緩んでしまった。それ以後、エジプトの支配者たちが化粧石を持ち去り、モスクなどの建設に流用してしまった。おかげで、クフ王のピラミッドは下の画像のように石材むき出しの状態になっちゃったんだ。
そんなこんなで化粧っ気のないスッピンになってしまったクフ王のピラミッドなんだけど、なんと二百数十万個もの石材を積み上げて築かれているんだそうな。建設には20年かかったとされているから、一年あたり10万個以上の石材を積み上げている。一日あたりでは300個近い数になる。重機の無い時代によくぞそれだけの工事を行ったもんだよね。
遠くアスワンからも運ばれたピラミッドの建設資材それだけの大量の石材をどうやって集め、どうやって運んだのか。クフ王のピラミッドの建設の為に積み上げられた石材の重量は550万トンを越えているらしいけど、その中には遠くアスワンから運ばれたものもあるらしい。そのアスワンからギザまでは 800km以上もある。ナイル川に舟を浮かべて運んだと考えられている。
ちなみに、上の画像はアスワン近くにある花崗岩の石切り場に残る切りかけのオベリスクなんだけど、クフ王のピラミッドに使われた石材の中にもアスワンの花崗岩が含まれているらしい。ついでながら、上の画像にある切りかけのオベリスクは、葬祭殿で名高いハトシェプスト女王の命で切り出されていた。でも、作業の途中で割れてしまい、放置されてしまったとか。
クフ王のピラミッドの内部そんなクフ王の大ピラミッドの内部には、9世紀に掘られた盗掘の穴から入ることが出来る。平坦な通路に続いては、狭くて天井の低い通路を登り、やがて広くて天井の高い大回廊(下の画像)へと続く。更に奥には王の間などもあるんだ。
クフ王の大ピラミッドから外へ出てからのことなんだけど、家内が言うには肩こりが楽になったと。これはピラミッド・パワーのおかげだと彼女は言い張る。いや、ピラミッドの中の通路を登ったり下ったりしたから、日ごろの運動不足が解消して血行が良くなったからだと私は思ったんだけどね。
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