サッカラの階段ピラミッドを築いたジェゼル王古代エジプトの王(ファラオ)といえば、頭に浮かぶのは黄金の秘宝で名高いツタンカーメン王やギザのピラミッドで名高いクフ王かな。でも、このページで採り上げるのはジェゼル王。エジプトを旅するならば必ず見たいのはピラミッドだよね。そのピラミッドの原型とされるサッカラの階段ピラミッドを築いたのが、そのジェゼル王なんだ。
このジェゼル王、紀元前2667年に即位した古代エジプトの第3王朝の第2代の王とされている。でも、即位した年や死去の年についてもいくつかの説があり、父親が誰かについても議論があるんだそうな。その名前についても、ジェゼル、ジェセル、ジョセルそしてネチェルイケトなど資料によって異なる表記がされているね。
エジプト南部まで支配を広げたジェゼル王後にクフ王やカフラー王が築いた巨大なピラミッドの原型となるサッカラの階段ピラミッドを残したことで名高いジェゼル王なんだけど、彼の功績は他にもある。シナイ半島に何度も軍を送って征服し、その地にある地下資源を確保している。
シナイ半島の冨を手に入れた彼は、方向を転じて南に向かい、エジプト南部にあるアスワンにまで進出したんだそうな。上の画像はアスワン近くのエレファンティネ島から眺めたナイル川の風景なんだけど、ジェゼル王はエレファンティネ島の神殿の再建を行ったこともあるらしい。
エジプト南部に住むヌビア人ジェゼル王が進出したアスワン周辺のエジプト南部なんだけど、北部とは文化的に異なる人々が住んでいたらしい。その子孫が今もエジプト南部からスーダン北部に住んでいるヌビア人なんだそうな。(下の画像はアスワンのレストランで見たヌビア人のダンス。)
ヌビア人はエジプト北部に住む人々と比べれば肌の色も黒く、異なる言語を話していた。宗教的にも固有の信仰を持っていたんだそうな。
アスワン・ハイ・ダムのナセル湖とヌビア人西暦1970年、エジプト南部にアスワン・ハイ・ダムが完成し、その結果として誕生したナセル湖(その面積は琵琶湖の8倍)によって、10万人近い人々が移住を余儀なくされた。その多くがヌビア人だったらしい。そんなヌビア人はアスワン・ハイ・ダムの下流に新たな村を築いたり、アスワンやカイロに移り住んだりしたそうな。ナセル湖の誕生は多くの古代遺跡を水没の危機に追いやった。そんな水没の危機から救うためにユネスコが遺産の移築を支援したんだ。かくして救われた遺跡の中には、世界中の観光客が訪れる世界遺産アブ・シンベル大神殿もある。
同様に水没の危機から救い出された遺跡の一つには、上の画像にあるカラブシャ神殿もある。この神殿は紀元前30年に古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの命によって築かれたんだけど、ヌビアの太陽神マンドゥリスを祀っているらしい。古代エジプトの南部に住んでいた人々の独自の文化は、こうして古代ローマ帝国の時代にも受け継がれ、現代にまで続いているわけだ。但し、その独自の文化を保ち続けることは難しくなっているみたいなんだけどね。
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