エジプトが誇るギザの三大ピラミッド古代エジプトのピラミッドについて書くならば、採り上げないわけにはいかないのが下の画像の風景だね。これはカイロからも近いギザの三大ピラミッドをパノラマ・ポイントと呼ばれる場所から眺めた風景なんだ。
上の画像に見える三大ピラミッドなんだけど、右からクフ王、真ん中がカフラー王、左がメンカウラー王のものとされている。真ん中のピラミッドが最も高く見えるんだけど、実際には右端のクフ王のピラミッドが最も高くて大きいんだそうな。
カフラー王の即位ギザでも最大のピラミッドを残したクフ王が紀元前2566年に亡くなった後に古代エジプトの王(ファラオ)の位を継承したのは、息子のジェドエフラー王だった。クフ王のピラミッドを完成させたのも彼だった。ところが、そのジェドエフラー王は短命で在位数年で亡くなってしまった。その時点で彼自身の為のピラミッドの建設は始まったばかりであり、結果的に放棄されてしまったんだそうな。
紀元前2558年にジェドエフラー王の位を継承したのは、その兄弟であるカフラー王(クフ王の兄弟との説もあるらしいけど・・・)だった。カイロにあるエジプト考古学博物館で見たカフラー王の坐像が上の画像なんだ。
カフラー王のピラミッドとスフィンクス兄弟の死によって王位を得たカフラー王は、26年間(異説あり)に渡ってエジプトに君臨したらしい。ジェドエフラー王とは違って、自分の為のピラミッドを建設する時間を持っていたわけだ。
そんなカフラー王が築いたピラミッドが上の画像なんだけど、そのピラミッドの守護者とされるスフィンクスも見えているよね。そのスフィンクスの顔はカフラー王に似せてあると言われているらしい。ついでながら、上の画像の左端に見えているのは、カフラー王の息子で後継者となったメンカウラー王のピラミッドだね。
カフラー王の河岸神殿や葬祭殿カフラー王のピラミッドの前には葬祭殿がある。そこからスフィンクスのすぐ脇にまで参道が続いているんだけど、その手前にあるのが河岸神殿(下の画像)。かつてはナイル川のほとりにあったらしい。今では川からちょいと距離があるんだけどね。クフ王のピラミッドと比べて、カフラー王のピラミッドの方が葬祭殿や河岸神殿などの周辺施設の状態が良いんだそうな。
カフラー王が亡くなり、紀元前2532年にエジプトの王となったのが息子のメンカウラーだった。そのメンカウラーもギザの三大ピラミッドの一つを残している。但し、彼のピラミッドの高さは 70メートルほどしかなく、クフ王やカフラー王のピラミッドの高さの半分もない。
イスラム原理主義とピラミッド西暦2012年11月のことなんだけど、とんでもないニュースを目にした。エジプトのイスラム原理主義の指導者の一人が、ピラミッドやスフィンクスを破壊することを呼びかけたというんだ。イスラム教の偶像崇拝の禁止に反する存在であり、かつてアフガニスタンで破壊されたバーミヤンの石仏と同じく破壊されるべきだと主張しているらしい。対して、エジプトの治安当局はギザ周辺の警備を強化したそうな。
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