古代エジプトにおけるヒクソスとの戦いかつてギザに巨大なピラミッドを築いた古代エジプトも次第に衰え、紀元前16世紀には異民族ヒクソス(セム系とも言われる)による第15王朝によって国土のかなりの部分が支配されていた。他方、ナイル川中流のテーベ(今のルクソール)を中心に小さな領土を統治していたのが、古代エジプト第17王朝だった。その王朝はヒクソスの第15王朝に貢納をしていたとも言われている。ところが、そんな第17王朝の王セケンエンラーがヒクソスに対する攻撃を始めたらしい。でも、彼のミイラの頭部はひどく損傷していて、ヒクソスとの戦いで負傷し、亡くなったとされている。ヒクソスとの戦いを引き継いだのは、彼の息子カーメス王だった。カーメス王はテーベを流れるナイル川に船団を浮かべ、下流に向かって出撃していった。かつてのテーベ(今のルクソール)を流れるナイル川の風景が下の画像なんだ。
カーメス王に率いられた軍はヒクソスに対する重要な勝利を得たそうな。ところが、戦いで傷を負った彼は間もなく亡くなっている。でも、次の王となったアハメス1世(あるいはイアフメス1世)はついにヒクソスをエジプトから駆逐し、エジプトの再統一に成功している。
アハメス1世(イアフメス1世)のヌビアとの戦いエジプトからヒクソスを駆逐したアハメス1世は、更に彼らを追ってシナイ半島からシリア方面にまで遠征している。その後は軍を転じてエジプト南部に向かい、ヌビア人を征服している。
ヌビア人は既にジェゼル王(サッカラの階段ピラミッドを残した)の頃にはエジプトに服属していたけれども、ヒクソスの侵入の後に自立してヒクソスと連携していたらしい。(上の画像はアスワンで見たヌビア人のダンス。)
アメン神信仰とカルナック神殿アハメス1世の父や兄はテーベの街(今のルクソール)を本拠として統治を行っていた。そしてアハメス1世を初代とする古代エジプト第18王朝の首都もテーベだった。そのテーベにあるカルナック神殿の中にはアメン大神殿があり、アメン神に対する信仰の中心となっていた。(下の画像はカルナック神殿の夜の様子。夜に行われる音と光のショーの舞台となっている。)
アハメス1世や彼の後継者たちはカルナック神殿の拡張工事を行い、戦いの前にはそこで戦勝を祈願し、戦いで得た戦利品を捧げていたらしい。しかし、やがてカルナック神殿の神官たちの持つ冨と力は次第に過大となり、古代エジプト第18王朝の王たちと対立するようになっていった。というのは先の話なんだけどね。
王家の谷に葬られた王たち第18王朝の初代アハメス1世は、古代エジプト人としてピラミッドを築いた最後の王となった。とはいえ、彼のピラミッドは殆ど崩壊しているそうな。また彼のミイラは今ではイギリスの首都ロンドンにある大英博物館で眠っているらしいけどね。
他方でアハメス1世の後継者の王たちが葬られたのが、テーベ(今のルクソール)の近くにある王家の墓(上の画像)だった。この谷では第18王朝の多くの王や王族たちのお墓が見つかっている。その中でも特に名高いのがツタンカーメン王かな。彼の墓から見つかった黄金の秘宝はカイロにあるエジプト考古学博物館にあるんだけどね。
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