ミケーネ王アガメムノンの黄金のマスク ??昔々のギリシャの物語。トロイの王子パリスは、スパルタ王妃ヘレネを誘惑し、自国へ連れ帰った。怒ったスパルタ王メネラオスと、その兄でミケーネ(ミュケナイ)王アガメムノンは、軍勢を集めてトロイ(トロイア)に攻撃を仕掛けた。これがホメロスやアイスキュロスによって取り上げられたトロイ戦争の始まりだった。そして19世紀のギリシャ。古代遺跡を発掘していたシュリーマンが、黄金のマスク(右の画像)を発見した。(ちなみに右の画像は入場券なんだ。) シュリーマンは、このマスクをミケーネの王アガメムノンのものだと考えたんだ。(現在では、アガメムノンよりも昔のミケーネ王のものとされているけどね。) ミケーネ王家の象徴 二頭のライオン - 獅子門シュリーマンがミケーネのアクロポリスを訪れたのは、西暦1866年のことだった。やがて発掘が行われ、古代ミケーネの街を取り囲んでいた城壁、そして紀元前1350年頃のものと言われる獅子門(右の画像)が姿を見せたんだ。 この獅子門が描いているのは、一本の柱の左右に立つ二頭のライオン。これは古代ミケーネ王家の紋章だったと考えられている。 古代ミケーネ人(ミュケナイ人)古代ミケーネ人の祖先たちは、紀元前2000年前後にギリシャの土地に広がっていったと考えられている。やがて紀元前1600年頃、クレタ島のミノア文明の影響を受けたミケーネ人達は、独自の文化を作り上げたんだ。紀元前1450年頃、ミケーネ人たちはクレタ島のクノッソス宮殿を支配下に入れていた。そして彼らが全盛期に達したのは、紀元前14世紀頃だと言われている。 ところが、紀元前12世紀頃、強勢を誇ったミケーネ文明は、突如として滅亡してしまった。古代ドーリス人の侵入によるとも言われ、あるいはヒッタイト帝国をも滅ぼした海の民の攻撃によるものとも言われているんだ。 ミケーネ王アガメムノンの最期トロイ戦争におけるギリシャ軍の指揮官の一人となったアガメムノンは、出陣に際して娘のイフィゲネイアを犠牲に捧げた。その効があったのか、10年の苦闘の末にトロイを攻略したギリシャ軍は、ようやく故国に戻ることが出来たんだ。ところが、娘を犠牲として殺されたアガメムノンの妻クリュタイメストラは、その恨みを忘れていはいなかった。トロイ戦争から凱旋したアガメムノンは、復讐の鬼となっていた妻とその愛人によって殺されてしまったんだ。 下の画像は、アガメムノンの悲劇の舞台となった古代ミケーネのアクロポリス。シュリーマンによって発掘されたミケーネ王家の宮殿の遺構をここで見ることが出来るんだ。
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