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紀元前 500年頃、ケルト系のラ・テーヌ文化がヨーロッパ各地に広がり始めた。
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イギリスの川底で発見された ケルト人の盾 ウィタム・シールド
アングロ・サクソン人がやってくる前、古代ローマ帝国の兵士たちがやってくるよりも前のこと、ブリテン島(イギリス)を闊歩していたのは、御承知の通りケルト系の人々だった。
イギリスの首都ロンドンの大英博物館では、そんなケルト人たちの遺物を見ることが出来るんだけど、その代表的なものの一つが、右の画像にあるウィタム・シールドかな。
紀元前4世紀のものとされるこの盾は、イギリスのリンカーン近くを流れるウィタム川から発掘されたものなんだ。
盾の装飾には地中海産のサンゴも使われていたらしいけど、当時のブリテン島(イギリス)では地中海の産物なんて極めて貴重な品だったろうね。
なお、正確には右の画像にあるウィタム・シールドは盾の表面飾りだった。木で出来ていた盾の本体は川の中で腐っちゃったらしいよ。
上にも書いたけど、このウィタム・シールドの装飾に使われている地中海産のサンゴについて考えたことがあるんだ。紀元前600年頃にはフランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユに古代ギリシャ人が定住した。その古代ギリシャ人たちは青銅の原料となるスズを求めてイギリスのコーンウォール地方にまで来ていたらしい。地中海産のサンゴは、そんな古代ギリシャ人たちが交易の為に持ち込んだものかもしれないよね。
ケルト人とラ・テーヌ文化
考古学的な発掘によれば、ケルト人は紀元前13世紀頃にドナウ川の上流地域に住んでいたらしい。そこから鉄器時代のヨーロッパ各地に広がりつつも、彼らは文化と言語とを共有し続けていたと考えられているんだ。
ケルト人の拡散は、紀元前800年頃から活発化したらしい。やがて彼らは紀元前390年に今はイタリアの首都となっているローマを劫略し、次の世紀にはギリシャのデルフィの神殿をも襲い、更に小アジア(現トルコ領)にまで達している。
紀元前500年頃からは、ケルト人はラ・テーヌ文化を花咲かせた。上の画像にあるウィタム・シールドはこの頃の遺物と考えられているんだ。
ケルト人の末裔たち
しかし、紀元前千年紀の終わり頃のケルト人は、拡大する古代ローマ帝国とゲルマン諸族とに同化し、あるいはヨーロッパの隅っこに追いやられてしまった。
でも、彼らの子孫たちは今でもフランスのブルターニュやイギリスのスコットランド・ウェールズ、アイルランドなどで生き続けている。(上の画像はイギリスのウェールズ北部にあるスノードニア国立公園の山岳地帯。)
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