ヨーロッパの歴史風景 先史・古代編




紀元前 450年、古代ギリシャのデロス同盟の資金を流用したアテネがパルテノン神殿の建設を始めた。


アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿

ヨーロッパの歴史、いや世界史に興味があるならば、古代ギリシャに関心を持たざるを得ないよね。

ギリシャのアテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿

その古代ギリシャと言えば、必見のスポットが上の画像にあるアテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿かな。このパルテノン神殿の建設は、紀元前450年に始まり、紀元前438年に完成したんだそうな。

アテネの守護女神アテナ・パルテノスを祀る神殿だったパルテノン神殿には、黄金と象牙で出来た女神像も安置されていたらしい。その女神像はとっくの昔に失われてしまったけど。

パルテノン神殿を飾っていた彫刻

そんなパルテノン神殿の建物は、多くの彫刻で飾られていたらしい。女神アテネの誕生の物語、ギリシャ神話の神々の戦いの場面、4年ごとに開催されたパン・アテナイ祭のパレードの様子などが彫刻に描かれていた。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代ギリシャのアテネのパルテノン神殿の彫刻

といっても、今のギリシャのアテネにあるアクロポリスに登っても、見ることの出来る彫刻はわずかなもの。パルテノン神殿の彫刻を見たければ、ギリシャではなく、イギリスの首都ロンドンの大英博物館へ行くべきかもしれないね。上の画像にある彫刻も、大英博物館で見たものなんだ。

破壊されたパルテノン神殿の彫刻と大英博物館

アテネのパルテノン神殿の破壊が進んだのは西暦5世紀のことだった。アテナ女神の神殿が、キリスト教の教会とされてしまったんだ。

そして西暦1687年、アテネを支配していたオスマン・トルコはパルテノン神殿を火薬庫として使っていた。ところが、戦いを交えていたヴェネツィア軍の砲弾がパルテノン神殿を直撃し、火薬が大爆発を起こして神殿は大きな被害を受けてしまったらしい。

そして19世紀初頭、イギリスの大使としてオスマン・トルコに赴任したエルギン卿が、スルタンの許可を得てパルテノン神殿の彫刻などをイギリスに運んだんだ。

ところがその為に多額の借金をしたエルギン卿、西暦1816年には首がまわらなくなってしまった。やむなく、イギリス政府に泣きついたんだけど、イギリス政府が出してくれたのはエルギン卿が支出した費用の半分だった。

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代ギリシャの展示

そんなこんなでしまり屋のイギリス政府は、半分のコストでパルテノン神殿の彫刻を大英博物館の古代ギリシャ関連のコレクション(上の画像)に加えたわけだ。

デロス同盟の資金を流用した政治家ペリクレス

ところで、紀元前450年にパルテノン神殿の建設を始めたアテネの指導者は、ペリクレスという政治家だった。(下の画像はロンドンの大英博物館にあるペリクレスの像。)

イギリスの首都ロンドンの大英博物館で見た古代ギリシャのアテネの政治家ペリクレス像

このペリクレスさん、パルテノン神殿の建築費用を賄う為に、デロス同盟の資金を流用しちゃったんだ。その資金はペルシャと戦う艦隊を作る為に古代ギリシャ諸都市がアテネに預けたものだった。

それをアテネの神殿建設に流用されちゃったんだから、ギリシャ諸都市は怒るよね。というわけで、古代ギリシャの盟主としてのアテネの地位は次第に低下していったんだ。その前に病死したペリクレスは、アテネの敗北を見ずに済んだんだけどね。

次のページ



姉妹サイト ヨーロッパ三昧

ヨーロッパ三昧

このサイト「ヨーロッパの歴史風景」の本館が「ヨーロッパ三昧」です。イギリス・フランス・イタリア・スペイン・ギリシャ・トルコ・エジプト・ロシア・アゼルバイジャンなど25国45編の旅行記を掲載しています。こちらも遊びに行ってみてくださいね。

「ヨーロッパ三昧」のトップ・ページのURLは、 http://www.europe-z.com/ です。

Copyright (c) 2002-2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
管理・運営 あちこち三昧株式会社
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。