カエサル(シーザー)が古代ローマ帝国のガリア総督紀元前58年、古代ローマ帝国のカエサル(シーザー)がコンスルの職務を全うし、ガリア(フランス)の総督となった。(下の画像は今のフランスの首都パリの郊外にあるブローニュの森の様子なんだけど、カエサルの頃のガリアの森もこんなだったかな。といっても、ブローニュの森が公園として整備されたのは、西暦1854年のことなんだけどね。)
ガリア総督としてのカエサル(シーザー)は、今のフランスに住んでいたガリア人と戦い、今のドイツに住んでいたゲルマン人と戦い、今のベルギーに住んでいたベルガエ人とも戦った。イベリア半島のローマ化も進めたらしい。今のポルトガルの首都リスボンあたりにも都市を築いたんだそうな。でも、カエサルの戦いはそこで終わったわけじゃなかったんだ。
カエサル(シーザー)のブリタニア(ブリテン島)遠征最終的にカエサル(シーザー)はガリア(今のフランス)全土を古代ローマ帝国の属州としている。でも、その過程で紀元前55年にブリタニア(ブリテン島、つまり今のイギリス)にも遠征している。
上の画像は、ブリタニアに遠征したカエサル(シーザー)の軍団が上陸したイングランド南部のディール海岸の様子なんだ。このディール海岸には、カトリック諸国のイングランド侵攻を心配したイングランド王ヘンリー8世が築いたディール城もある。つまりはイングランドへの侵入者に開けた海岸だったんだね。 カエサル(シーザー)の軍団とケルト系ブリトン人との戦いイングランド南部のディール海岸に上陸したカエサル(シーザー)の軍団は、そこから北上していった。
そして、今のカンタベリーの近くにある上の画像のあたりで、ケルト系ブリトン人との最初の戦闘を行ったんだそうな。ちなみに、上の画像はカンタベリー近くのチラム城から撮影したもの。
その後の古代ローマ帝国とブリタニア(ブリテン島)ケルト系ブリトン人を戦闘で打ち破ったカエサル(シーザー)の軍団だったけど、今回の上陸は一時的な遠征に過ぎず、やがてカエサルの軍団はブリタニアから撤退している。その翌年にもカエサルの軍団はブリタニアに上陸しているけれども、それも一時的な遠征に過ぎなかった。ガリアに戻ったカエサル(シーザー)はガリア人との戦いを続け(彼は「ガリア戦記」を残した)、そして紀元前49年に「賽が投げられ」てルビコン川を渡り、イタリアのローマを制圧したわけだ。そして紀元前44年にカエサル(シーザー)は暗殺された。 他方のブリタニア(ブリテン島)なんだけど、西暦43年に古代ローマ帝国の皇帝クラウディウスが軍団をブリタニアに派遣し、そこからブリタニア支配が本格化したらしい。西暦75年頃には、ブリタニア(ブリテン島)の南部を古代ローマ帝国の支配下に置いた。 でも、ブリタニア北部(今のスコットランド)では、石の砦デューンを築いて抵抗するピクト人に手を焼き、ハドリアヌスの長城(城壁)を築いて守勢にまわることになってしまった。それでも支えきれず、結局のところ古代ローマ帝国の軍団は西暦410年にブリタニア(ブリテン島、今のイギリス)から撤退してしまったんだけどね。 一時期にはインドやシンガポールや香港など各地の植民地を支配し、世界に冠たる大英帝国を築き上げたヴィクトリア女王時代のイギリスも、その広大な帝国を保つことが出来なかった。ある意味ではそれは古代ローマ帝国の歴史を繰り返したように見えなくもないね。
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